心にしみる一言(395) 漕ぎ魔
◇j一言◇
漕(こ)ぎ魔
◇本分◇
年も押し詰まって、1年を振り返るテレビ番組が多くなった。混沌とした年だったと感じるとともに、毎日新聞記者時代に取材した夫婦の言葉を思い出した。
「混沌とした社会に身を置いている皆さんこそ、ヤブの中にいるようなものです。毎日請いでおられるのではありませんか」
「けったいでんな」というコーナーでの取材だった。本人は大まじめだが、周りから見るとユーモラな人を、連載で紹介した。2人は山愛好家だった。それも、「漕ぎ魔」と自称した。
何を漕ぐのかというと、ヤブを漕ぐそうだ。山の中で、竹ヤブや小さな灌木を、全身の力で押し倒し、手で漕ぐようにかき分けて進む。これがヤブ漕ぎらしい。
「そんなことがおもしろいのですか」と尋ねると、「快楽な心境になる」と答が返ってきた。続いて、取り上げた言葉も。な~るほど、だった。
気のきいた言葉、楽しい言葉を使う名人だった。取材した時は2人とも50代。年をとってきたので、田んぼ道や里山を歩く「カントリーウオーカー」に変わってきたと話した
。
ウオークに行く時は、「どっかいいとこないか」と、地図を見ながら行先を相談する。2人の間では、このウオークの催しを「どっかーらんど」と呼んでいた。
みんなが観光で行くようなところには行かない。みんなが「何もない」と言うところに行く。理由もしゃれていた。
「何もないことはない。そんな山こそ宝の山、何かかるし、何でもある」。含蓄がある。(梶川伸)2022.12.21
更新日時 2022/12/21