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心にしみる一言(385) わが打つ太刀の血けむりと見よ

吉村寅太郎の墓

◇一言◇
 わが打つ太刀の血けむりと見よ

◇本文◇
 京都市・護国神社にある幕末の志士の墓地を訪ねたことがある。志士が集まった翠紅館跡を見て、300円入れるとドアが開く自動改札口を通って中に入った。
 坂本竜馬の墓は中岡慎太郎と一緒にあった。そばに、吉村寅太郎の墓。正四位をもらっていた。説明板に辞世が書かれていた。「吉野山風に乱るゝもみじ葉は わが打つ太刀の血けむりと見よ」
 「紀伊半島の霊場と参詣道」が世界遺産になった際、紀伊半島の関連で寅太郎を取材したことがある。天誅組の変の首謀者で、明治維新という歴史の転換点の直前のできkごとの中で、数奇な運命をたどった。
 天誅組の変は最初の反幕府武装蜂起で、明治維新(1868年)の先駆けとも言われる。1863年8月13日、孝明天皇が攘夷(じょうい)祈願のため、大和行幸の詔(みことのり)を出した。三条実美、桂小五郎(後の木戸孝允)、高杉晋作らの急進派が、討幕への気運を高める狙いを持った行幸計画だった。
 これに呼応したのが天誅組で、8月17日、幕府の出先である五條代官所(奈良県五條市)を襲撃し、新政府樹立を宣言した
 とこらが、翌18日に朝廷内部で政変が起き、三条らの急進派は一掃され、行幸中止の勅命が発せられた。一夜にして天誅組は逆賊に変わり、幕府の追討軍に追われるところとなり、9月27日までに寅太郎を踏む全員が戦死した。取材では終焉の地、奈良県東吉野村の墓も見に行ったことがある。京都の墓にあった辞世の歌のすざまじさとは対照的に、訪れる人もほとんどいない静かさだった。(梶川伸)2022.08.19

更新日時 2022/08/19


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