能勢街道をゆく⑭ 石橋周辺
能勢街道歩きは一休みとし、阪急石橋駅周辺をうろついた。
阪大坂を登り、大阪大学を目指す。キャンパスの入り口に、大阪大学総合学術博物館がある。阪大の歴史や、キャンパス内で見つかった考古資料などを展示している。入館無料なのがうれしい。今は企画展「阪大生・手塚治虫 医師か?マンガ家か?」が面白い(6月30日まで)。手塚は1945年の終戦直前に阪大医学専門部に入学して医師を目指した。一方で1946年に漫画家としてデビューした。展示の中には、転機となった時期を振り返った手塚自身の文章もある。
「教授がぼくを呼んだ。『君は、このまま医者を続けても、ろくな医者にはなれん。必ず患者を5、6人は殺すだろう。世のためにならんから医者をあきらめろ。漫画家になりたまえ。これは君への忠告だ』。ぼくは思いあまって母と相談した。『あんたのいいと思う道へ進みなさい』というのが母の意見だった」(1969年発行「ぼくはマンガ家」)
文章には漫画がついている。学生服姿の手塚が足でげたをほうり上げている絵で、「裏が出たらマンガ家 表が出たら医者になるっ エイ」と添えられている。
豊中市のシンボルとなっているマチカネワニの化石も見ることができる。1964年5月3日、理学部校舎の建設現場で、高校生が見つけた。38万~42万年前のものだという。
博物館を出て、キャンパスへと入って行く。右手は中山池で遊歩道がついている。左手の小山にも遊歩道があって、ツツジが咲き残っていた。マチカネワニの化石の出土地の理学部は、反対側の入り口近くにあった。
石橋駅近くまで戻り、国道171号を少し北に歩くと、面白い光景がある。池田市から箕面市に入る手前に歩道橋があり、箕面市瀬川5丁目と書いてある。歩道橋を反対から見ると当然、池田市の地名のはずだが、「豊中市石橋麻田」。実は石橋駅の北側の箕面市域の中に、豊中市麻田町という飛び地があるのだ。
豊中市に聞くと、話は江戸時代にさかのぼる。住民が開拓した田畑が住居から離れていて、市の区域割りのあとも引き継がれたのだという。現在は約250人が、箕面市域の中で豊中市民として生活している。 (梶川伸)
更新日時 2011/05/17