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心にしみる一言(362) この寺の常識は、一円玉に替えること

薬王寺の石段

◇一言◇
 この寺の常識は、一円玉に替えること

◇本文◇
 春は遍路のシーズンなので、私の思い出の中から取り上げてみた。しんどいこと、感じ入ることも多いが、中には笑える体験もある。
 最初の遠路は1995年11月にスタートした。2泊3日ずつの自転車遍遍路。第2回はその年の12月だった。
 徳島県最後の札所、23番薬王寺にたどり着いた。ここは厄除(やくよ)けの寺として知られる、男の厄年に合わせた42段の石段、女の厄年の33段の石段を登って、本堂に向かう。
 参拝をすませて、電話連絡しなくてはいけない用事を思い出した。下の寺務所に行くと、公衆電話があり、それを利用することにした。
 受話器を取ろうとしたが、10円玉を切らしていた。電話機のそばに両替機があり、100円玉を入れた。出てきたのは1円玉100枚。
 思わず「何でや」と声を上げてしまった。それを聞いた人が教えてくれたのが、取り上げた言葉だった。
 薬王寺では、石段の段ごとに、1円玉を置きながらお参りする習慣がある。そのための両替機だったのだ。驚いた後は、笑いが止まらなかった。
 なぜ公衆電話だったのかは、覚えていない。携帯電話を持ってはいたが、電池切れだったのか、まだポケットベルを使っていたのか。
 そこで、インターネットで携帯電話の歴史を調べてみた。すると、96年に着メロ(着信メロディー)ブーム、と出てきた。そのころに携帯が普及したことがわかる。だとすると、95年の私は、まだ携帯を持っていなかったのかもしれない。(梶川伸)2022.02.25

更新日時 2022/02/25


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