心にしみる一言(351) 中上健次は酒が好きで、会合ではいつも「一杯」がついた
◇一言◇
中上健次は酒が好きで、会合ではいつも「一杯」がついた
◇本文◇
酒蔵を巡って記事を書くという、酒飲みには楽しいシリーズを担当したことがある。和歌山県新宮市、尾崎酒造を訪ねたのも、その取材だった。
紀伊半島の南には、ほとんど酒蔵がない。そのことも、取材の1つのポイントだった。
社長に聞くと、「和歌山県は田辺市から南の酒蔵はここだけ」と語った。では三重県側は。「松阪市あたりまで酒蔵はない」
酒蔵が少ない理由について、「紀伊半島の南部は山ばかりで、平地は海に沿って少しあるだけ」という分析。酒米を作る余裕がない、ということ。
そんなに条件が悪いのに、尾崎酒造はある。その分析も聞いた。
「この地区には古くから信仰を集める熊野三山があり、神社に酒はつきものだ。また、三重県側には、どぶろく祭りが残っている地区があるという。昔は酒蔵がいくつかあったと推測できるが、尾崎酒造が創業した1880年には、すでに1軒だでけになっていたらしい」
酒の銘柄は雄大に「太平洋」。話題は酒を好んだ文人のことに移っていった。左藤春夫が生まれたのは、蔵から約30メートル離れた場所で、碑が立っていた。「祖父は親交があった」そうだ。
社長自身は中上健次と親しかった。中上は新宮高校の2年後輩だった。中上は同級生らと「隈の会」をつくり、それが熊野大学という文学などの勉強会に発展していった。新宮市で開かれる夏季セミナーには、全国から作家の卵や文学愛好家らが100人も集まったという。そして、中上の思い出。
「中上は酒が好きで、会合ではいつも一杯がついた。酔って中上は『熊野大学に陶芸部を作る。つぼを焼いて、太平洋を入れて飲もう』と言った」。実現できなかった約束だったが。(梶川伸)2021.12.09
更新日時 2021/12/09