心にしみる一言(353) 23年かかって、自分1人のものにした
◇一言◇
23年かかって、自分1人のものにした
◇本文◇
前回に続いて、美術展にまつわる話。
団塊の世代の恋物語を執筆していたことがある。おでん屋さんで時々見かけた女性がいて、店の女将に仲介してもらい、連載の1回分を取材せてもらった。ことがある。
そのころ、映画「カミーユクローデル」が上映され、美術館では「カミーユ・クローデル展」が開かれていた。聞かせてもらった恋物語の中身が、カミーユ・クローデルに重なったので、女将と私は勝手の「カミーユ」というニックネームをつけた。
本物のカミーユは彫刻家で、ロダンの弟子であり共同制作者だった。しかし、はるか年上のロダンを愛してしまった。
展覧会ではロダンと対になって展示されている2つの作品があった。カミーユはロダンを忠実に彫り、ロダンがカミーユをモデルにしたと思われる作品「フランス」は優しさに満ちていた。
これも良かったが、さらに印象に残った作品があった。「分別ざかり」。3人の男女が登場する。真ん中に立つ年配の男性はロダンだろう。片手を女性が引っ張っている。妻であろう。もう一方を、若い女性が引く。カミーユに違いない。何という率直さと激しさ。
おでん屋のカミーユさんは30歳の時に友人の店で飲み、たまたま横に座った男性にひかれていった。彼には妻子がいた。愛は深まり、その激しさのゆえに修羅場も経験したのは、彫刻家カミーユと同じだった。
長い時間を経て男性は離婚した。彫刻家カミーユは思いかなわず、精神を病んでいったが、おでん屋のカミーユは「23年かかって、自分1人のものにした」のだった。ただし、2人は結婚届を出さなかった。「相手(妻)にとって、私は仇」。自分だけが幸せになることに、「後ろめたさがあったのだった。(梶川伸)2021.12.22
更新日時 2021/12/22