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心にしみる一言(314) 出石は鉄道の路線から外れたことが、かえって幸いした

出石のシンボルの辰鼓楼

◇一言◇
 出石は鉄道の路線から外れたことが、かえって幸いした

◇本文◇
 前回の「心にしみる一言」(313回)で、兵庫県豊岡市・出石(いずし)、本覚寺のクレマチスについて、住職の言葉を取り上げた。それ以外も住職の話は多岐にわたり、出石という街についての見解も記憶に残った。
 出石はもともと出石城の城下町で、歴史は古い。たくわん漬けを考案したとも言われる沢庵和尚が住職を務めた宗鏡寺(すきょうじ)あることや、明治維新期の女子学校設立、東京大学の初代学長の加藤弘之の出身地であることでも知られる。ところがやがて、「時代から遅れた街になった」と住職は分析する。
 しかし、今は人気の観光地で、小皿で食べる出石ソバもよく知られている。これは「鉄道(国鉄)の路線から外れたことが、かえって幸いした」というのが住職の考えだった。
 「鉄道が直角三角形の斜辺を通ればよかったのだが、出石が反対して、他の2辺を通った。そのために取り残された」。これが人気観光地になる前の出石だったという。
 1970年から国鉄が乗客を増やすため、「ディカバー・ジャパン」のキャンペーンを始めた。キャンペーンで出石が取り上げられ、「古いものへの郷愁から出石が受けることになった」と語った。
 「出石の歴史は記紀の時代からあるが、本当に古いものはない」と説明したが、「明治に大火があって、復興の代わりに士族が東京に出ていった。その意味では時代から忘れられた街」とも語った。
 出石そばについては、「高校のころ、そば屋は普通のそば屋の2軒だけだった。飽食の時代のアンチテーゼとしてのそばが脚光を浴び、出石焼きとも結びついた」と、考えを披露してくれた。(梶川伸)2021.06.14

更新日時 2021/06/14


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