このエントリーをはてなブックマークに追加

心にしみる一言(270) 溝を埋めたのは、梅と川丈文化

近くの白浜町で回転ずしでは、梅干しも回っていた

◇一言◇
 溝を埋めたのは、梅と川丈文化

◇本文◇
 平成の大合併(市町村合併)が一段落したころ、合併に現場を連続して取材したことがある。和歌山県みなべ町もその1つだった。南部町と南部川村が合併して、みなべ町となった。町長には合併の原動力になった要素を聞いた。
 みなべ町は梅で知られる。南高梅はブランドになっている。役場には「うめ課」があり、課長は「合併で、名実ともに日本1になった」と言う。
 実は合併前まで、自治体単位では、隣りの田辺市の生産量が年間約2万200トンで日本1だった。旧南部川村が約2万トン、旧南部町が約1万トン。合併で田辺市を抜いた。
 「南部の梅」と言っても、実際には村の方が中心だった。5万人の観梅客が訪れる南部梅林も村の方にあるが、合併によって呼び名もすっきりした。町長は「梅日本1が合併の大きなパイプになった」と言った。
 町と村の間には、産業構造や行政手法で微妙な違いがあった。村の方は、梅一色。役場にはうめ課という独立した組織があり、村立のうめ振興館や研究所まで持っていた。1人当たりの所得の伸び率が、全自治体で1番に選ばれるほど、村には余裕があった。
 町の方は人口が多く、漁業も商業もある。梅のウエートは大きいものの、行政は梅一本ではいけなかった。
 町長によると、その溝を埋めたのは、梅ともう一つ、「川丈(かわたけ)文化」だと解説した。南部川に沿った地域での生活文化の共通性をこう呼ぶそうだ。
(梶川伸)2020.11.08

更新日時 2020/11/08


関連リンク