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心にしみる一言(264) 平和学の「平和」の概念は、「戦争のないこと」から「構造的に仕組まれた暴力のない状態」をいうように広がってきた

不法投棄された産廃は埋め立てられた

◇一言◇
 平和学の「平和」の概念は、「戦争のないこと」から「構造的に仕組まれた暴力のない状態」をいうように広がってきた

◇本文◇
 30数年も前、ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥングさんに関するテレビ番組を見たことがある。とても印象に残り、平和学に関心を持った。
 今度は四半世紀前のこと。高松勤務だったころ、大学で平和学の研究会があり、「地域・国家と安全保障」の部会を聴講した。安全保障というと、国家側からの政策と考えがちだが、個人やコニュニティーの立場から「生命・生存」の問題としてとらえ直してみよう、という試みだった。沖縄や日米安全保障条約などのほか、産業廃棄物が大量に不法投棄されている香川県・豊島の問題も取り上げられた。
 研究会の世話人から聞いたのが、取り上げた言葉だった。「構造的暴力の中には、飢餓や貧困、差別なども含まれ、あらゆるテーマが平和学の中に入ってきている。豊島の問題は、環境や住民に対する暴力といえるので、平和学のテーマ」と話した。
 産業廃棄物が大量に不法投棄された豊島の問題は、地元住民の代表が番外として報告した。50トンを超える産廃が不法に投棄され、6万トンの土壌と地下水が環境基準を超過し、地下60メートルでも有害物質が検出されると報告した。10トンの産廃を野焼きした結果、猛毒のダイオキシンも発生していると語った。
 一方では、豊島の産品は売れない。豊島の住民は1500人。「社会的弱者の所に産廃を押しつけているわけで、構造的差別や不公正の象徴。住民は重大な問題を背負わされている」と訴えた。平和学的視点だった。
 ガルトゥングさんとはその後、出会う機会があった。パートナーが日本人で、京都のマンションで軽くお酒を飲んだこともある。テレビ番組を見てから、15年ほどたっていた。(梶川伸)2020.10.15
 
 

更新日時 2020/10/15


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