このエントリーをはてなブックマークに追加

心にしみる一言(244) 先生が変わる時は、必ず歓送迎会をする。船に乗り込むと、万歳を三唱して、テープを投げて送り出す。

1996年当時の不法投棄された産廃の埋め立て地

◇一言◇
 先生が変わる時は、必ず歓送迎会をする。船に乗り込むと、万歳を三唱して、テープを投げて送り出す。

◇本文◇
 香川県の豊島(てしま)は、50万トンにもおよぶ産業廃棄物が不法投棄された島として知られる。島の人たちは、産廃の島外撤去を求めて長い住民運動を続けた。国の公害調停にもかけたが、1996年11月24日、住民大会で「全面撤去」から「島内での中間処理」へと大きく方向を転換した。
 住民大会の前日、島に泊まり、島の人たちと日付が変わるまで飲んだ。長い反対運動について尋ねると、「嫌なんじゃろう」と、ごくわかりやすい説明だった。豊島は米もよくできるし、豊な島だったからこその思いでもあった。豊かな島は、優しい人々を育てた。「人間はのんびりしているし、内気」だと島の人は言った。
 不法投棄は、その優しさに漬け込んだ。行政がなかなか動かなかったのも、そのためだろう。
 優しさを象徴する習慣を、島の人が語った。それが取り上げた言葉で、小学校の先生が移動で島を去ることになった時の「儀式」だった。「2度と来てくれることはないかも知れないが、思い出してください」と。
 翌日は、島で中間処理をするという大きな譲歩をする。しかし、中間処理をした廃棄物やがては島外に出すことになる。「(よその土地にとって)持ってきてほしくないものは、(豊島から)出したくもない」という優しい発言もあった。それは、自分たちの論理との整合性がとれなくなれうからでもあった。
 住民大会で、調停団の中坊公平弁護士は「苦渋の決断」と述べ、みんなが涙をにじませた。この言葉はその後、大きな問題の転換点で、しばしば使われることになった。
(梶川伸)2020.07.06
 

更新日時 2020/07/06


関連リンク