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心にしみる一言(218) 25年を経て、地域の課題は緊急的なものから日常的なものへと変わってきた

子どもたしの「しあわせ運べるように」

◇一言◇
 25年を経て、地域の課題は緊急的なものから日常的なものへと変わってきた

◇本文◇
 2020年は阪神大震災から25年となった。神戸市役所南側、東遊園地の慰霊祭は、例年より訪れる人が多かったと、ニュースは伝えていた。
 発生時刻に私は、神戸市長田区本庄町2、大国公園で開かれた地域の慰霊際で手を合せた。2018年の慰霊祭で「自治会の高齢化が進み、慰霊祭は今年で終了にしたい」と、自治会の役員が話していて、時の流れを実感した。2019年にのぞいてみると、慰霊祭は続いていて、「実行委員会で引き継ぐことになった」とのあいさつを聞き、どこかホッとした。だから、今年も気になった。
 ここの慰霊祭も、少し人が多いような気がした。黙とうの後、役員があいさつに立った。地域の高齢化の現状に触れる一方で、「3世代が暮らせる街を目指してきたが、4世代が住むようになった」と語り、上記の言葉も口にした。
 また、震災の体験から得た教訓話した。「まず自分の命を守る。自分の命が守れれば、他人の命を守ることもできる」。それは子どもたちに伝えようとしているように感じた。
 最後は小中学生の合唱だった。歌は震災を機に生まれた「しあわせ運べるように」。
 そこから400メートルほど東側の長田区日吉町5、しあわせ地蔵の前でも慰霊祭が行われた。そこでは地域の人たちが豚汁とぜんざいを作り、読経した僧侶たちや参列者にふるまっていた、運び役は子どもたちだった。(梶川伸)2019.01.19

更新日時 2020/01/19


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