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心にしみる一言(214) 日和山で2晩すごしたが、食べ物も飲み物もなく、生つばを飲んでしのいだ

運転手さんが見せたかった女川町のビル=2014年8月24日撮影

◇一言◇
 日和山で2晩すごしたが、食べ物も飲み物もなく、生つばを飲んでしのいだ

◇本文◇
 東日本大震災から3年目に、初めて被災地を訪ねた。4日間という短い期間だったので、宮城県と岩手県の南部を垣間見ただけだったが。
 3日目、仙台からバスで石巻へ行った。観光案内所で語り部タクシーを手配してもらったのだが、出払っていたので、一般のタクシーに乗った。
 案内所で教えてもらった語り部タクシーのコースを頼んだ。すると運転手さんは、女川に行った方が良いという。その意見に従った。
 途中、運転手さんは自分が住んでいる石巻市のことを語り始めた。犠牲者は約4000人で、兄、弟、弟の子どもを津波で亡くしたという。
 運転手さんもあわてて日和山に逃げた。そこはプロレスの興行をしていたこともあって、人であふれていた。2晩、その山で過ごしたが、食べ物も飲み物もなく。生つばを飲んでしのいだそうだ。3日目に食べ物の配布があったが、小さなチョコレートのようなもの2つだけ。知り合いは「金華山の沖の海の底が見えた」語ったとか。
 女川町では約900人が犠牲になった。小高い場所にある佇立病院の1階に車が押し流されて入ってきた。高さ20メートルほどの津波が来たことになる。その下に、運転手さんが見せたかったビルがあった。4階建ての宿泊施設で、土台ごとひっくり返っていた、
 その横に花が供えてあった。ビルには銀行の支店があった。行員は2階に逃げたが、津波はそのビルを越えていき、12人が犠牲になった。花はそのために供花だった。
 女川町には原子力発電所がある。「働いていた人たちは、石巻に向けて必死で走って逃げた」。そんな話を聞いたのも覚えている。(梶川伸)2019.12.02

更新日時 2019/12/02


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