心にしみる一言(201) スマートフォンのGPS機能があるので、あまり道に迷うことはない
◇一言◇
スマートフォンのGPS機能があるので、あまり道に迷うことはない
◇本文◇
私が最初に遍路で四国を回ったのは、1995年だった。自転車を利用し、9回に分けての巡拝だった。四国に住んだことはあったが、遍路道はほとんど知らず、頼りは歩き遍路用の詳細な地図だった。
それでも道を間違え、30キロほど余分に走ったことがある。「しまった」という思いがあって、心が動揺していたのだろう、下り坂で自転車に乗ったまま、体操の前転のように転んだ。自転車が壊れ、結構なけがをしたことがあった。そのため、その回はあきらめて、早々に自宅に帰った。高知県の足摺岬に近い場所だった。
5年前、バスを使った遍路旅の先達で、足摺岬から50キロほどの39番・延光寺にお参りした時のことだった。大阪からの歩き遍路に、次の寺(40番・観自在寺)までの距離を聞かれた。
それをきっかけに、少し話をした。40歳で会社をやめ、転職までの間に歩いているという。人生の岐路なのだろう。
「ただ歩いているだけ。一歩一歩」。私がけがをした場所が近かったこともあり、自転車で転倒したことが頭に浮かび、「道に迷こととはないか」と聞いてみた。その答が、取り上げた言葉だった。19年の間に、遍路も様変わりしていた。
ところが、次ぎに出た言葉が印象に残った。「考えながら歩いていると、標識を見逃してしまうことがある」。GPS機能を頼りに、気楽に歩いているのではないのだ。人生の道に迷っていたのかもしれないと思った。(梶川伸)2019.07.30
更新日時 2019/07/30