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心にしみる一言(196) 石の組み方は、すき間に手が入り込むくらい荒いのに、崩れそうで崩れん

大多府島の防波堤

◇一言◇
 石の組み方は、すき間に手が入り込むくらい荒いのに、崩れそうで崩れん

◇本文◇
 この言葉は何のことかと言えば、瀬戸内海の浮かぶ太多府島(おおたぶじま、岡山県備前市)の防波堤のことだ。島の長老が話してくれた。島を巡っていた10年余り前のことだった。
 備前市・日生港から船に乗り、大多府港に入ると、まず、石積みの防波堤が目に入った。現代の防波堤のように角張ってはいず、巨大なナマコのように丸みを帯びた形をしている。
 元禄10(1697)年9月、薩摩藩の島津京信が参勤交代の時に暴風雨に合い、この島に避難した。岡山藩の池田綱政がこれを知って、津田永忠らに命じて港を開いた。防波堤の石は薄茶色で、建設から300年もたつのに、そのままの色で残っている。
 「普通なら、どす黒く汚れるはずなのに」。島の長老そう話し出した。「草もコケもはえん。造る時に、特殊な磨き方をしたらしい。昔の人の技術じゃ」
 同じ備前市にある閑谷学校の石組みと同じ造りだと教えてもらった。閑谷学校は江戸時代前期、岡山藩によって開かれた庶民のための学校。
 島を訪ねてから随分たって、閑谷学校にも行ってみた。石積みの塀を見ると、確かに似ていた。ただ、同じ積み方なのかどうか、私には分からなかった。(梶川伸)2019.07.01

更新日時 2019/07/01


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