心にしみる一言(171) 今でも裏の山に登り、「バカヤロー」と叫んで帰る人がいる
◇一言◇
今でも裏の丘に登り、北に向かって「バカヤロー」と叫んで帰る人がいる
◇本文◇
京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館には、2度行ったことがある。1度目は舞鶴に引き揚げ第1船が入って50年になる1995年10月7日の少し前だった 半世紀たったのを機に連載記事を掲載することになり、そのまとめ役として、1度現地を見ておこうと思ったからだった。取り上げた言葉の「今でも」は、その時点でのこと。
引き揚げといえば舞鶴で、なぜそんなイメージが定着したかを、記念館で知った。引き揚げ港は10あったが、ほとんどは2、3年で役目を終え、舞鶴だけが残ったためだった。
シベリア抑留に関する展示が多かった。66万人の引き揚げ者のうち、50万人がシベリアからの引き揚げだったからだ。三波春夫、佐藤忠良、宇野宗佑の各氏ら引き揚げの体験者が語るメッセージを聞くコーナーもあった。
記念館の人に聞いたのが、上の言葉だった。裏の丘に登ってみた。そこからシベリアが見えるわkでもないし、声が届くわけでもない。しかし、失われた日々を思い出して、怒りを吐き出さずにはいられなかったのだろう。半世紀は短すぎたのではないか。
2度目に尋ねたのは2016年12月だった。世界記憶遺産になったためか、記念館はきれいな建物に生まれ変わっていた。ただ記憶を引き継いでいく、体験者の話が聞けるコーナーがなくなっていて残念だった。(梶川伸)2018.11.24
更新日時 2018/11/24