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心にしみる一言(142) 四国遍路は一言で言えば、「ありがとう」を学ぶ

総会の記念講演会で話す辰濃さん

◇一言◇
 四国遍路は一言で言えば、「ありがとう」を学ぶ

◇本文◇
 2017年12月に亡くなった辰濃和男さんは、朝日新聞の「天声人語」を13年間も担当した論説委員でした。自身の遍路体験をもとにした「四国遍路」「歩き遍路」という著書もあります。そんな縁で、お遍路さんの休憩所を作る活動、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の会長をお願いしていました。
 プロジェクトは地元の方々のボランティア精神で進めていますが、支援する会の会費や寄付金も休憩所の建設資金にあてています。このため毎年、総会を開いて、会計。活動報告をしています。同時に記念講演会も開きます。総会は四国か大阪で開きますが、辰濃さんは東京から駆けつけ、何度か講演の演壇にたちました。
 取り上げた言葉は、2013年に大阪で開いた総会の講演からピックアップしました。自身の遍路体験を語る中で語ったものです。その部分をはしょりながら紹介します。詳しくは「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会のホームページでご覧ください。トップページ左端の項目から、「講演・シンポジウム」をクリックしてください。http://www.geocities.jp/henrogoya/(トップページ左端の「講演・シンポジウム」をクリックしてください)

 コンクリートの上に座って、ちょっと靴の裏を見ると、いっぱい小石が詰まってるんです。それを1つずつ取りながら、この靴は大変な思いをして、私が歩いている時に、私の足になって、小石をみんな取ってくれているんです。裸足で歩くことができないわけで、靴の裏を見ながら、「ありがとう」とは言わないけれども、ありがたいなという気持ちになるんですね。不思議でね、東京で生活していて、靴の裏を見て「ありがとう」なんて気持ち、ならないんですよ。
靴と自分の足の間にはさまって守ってくれている靴下もありがたいなあ。雨降った時の傘、これもありがたい。杖、これもありがたい。段々段々、「ありがとう」が増えていくわけですね。レインコート、これもありがたい。
 遍路をしていて、何を学んだかというと、靴の裏についている小石を取りながら、「これはありがたいんだ」ということを、段々気づいていく。おヘンロ小屋に止まって、そこで30分休んで、休ませてくれたヘンロ小屋はありがたいなあ、という気持ちになってくる。不思議ですよね。普通の暮らしで、靴下ありがとうなんて気持ちになかなかならないんです。
 四国遍路は一言で言えば、「ありがとう」を学ぶ、「ありがとう」を実感する、その修行の場です。いろいろ学ぶことはあるんですが、私にとって1番大きいのは「ありがとう」を学ぶことだと思っています。
(梶川伸)2018.01.25

更新日時 2018/01/25


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