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能勢街道をゆく⑨岡町周辺2

谷田公園にある岡町住宅経営株式會社の石柱

 今回は岡町駅の西側を歩いた。1910年に箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開業した。それを機に、岡町周辺は住宅開発が進み、お屋敷町が形成されていったという歴史を持つ。
駅の西南に谷田公園がある。その一角に、「岡町住宅経営株式會(かい)」と読める石柱が立っている。1912年に設立された岡町住宅経営株式會社にちなむもので、最後の「社」は土に埋もれていた。資料によると、同社は駅西側を主に開発したという。
 少し北上すると、住宅の前に「二本松」と刻まれた石柱を見つけた。住宅の敷地に2本の背の高い松が生えていた。二本松とはそのことだろう。インターホンを押して尋ねてみようと思ったが、残念ながら応答はなかった。近所の人に聞くと、今は住んでいないらしい。
 豊中市立伝統芸能館に寄る。西側に隣接して、大石塚古墳がある。4世紀中ごろ築造の前方後円墳だ。全長は70メートル以上と推定され、墳丘には2段のテラスがあり、円筒埴輪が並べられていたという。その北側は小石塚古墳で、全長は49メートル。いずれも史跡に指定されている。
 伝統芸能館に入ると、その古墳から出土した円筒埴輪が展示してあった。興味深いのは、円筒埴輪棺。埴輪を古墳から引き抜き、2つをつないで、お棺として再利用していたらしい。そのようなお棺が、古墳の周辺から6つ見つかったと、説明にあった。
 豊中市岡町図書館の前で、原爆詩人、峠(とうげ)三吉顕彰詩碑を見る。峠三吉は1917年2月19日、豊能郡岡町(現豊中市岡町南)に生まれた。広島原爆の際、爆心から3キロ離れた場所で被爆し、被爆症に苦しみながら、「原爆詩集」を出した。峠三吉は1953年3月10日に永眠した。
 碑には代表作が刻んであった。「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよの あるかぎり くずれぬ へいわを へいわをかえせ」
 豊中市は1983年10月15日、非核平和都市宣言をした。被爆50年の1995年10月15日、この詩碑が設置された。(梶川伸)

岡町住宅経営株式会社 峠三吉

更新日時 2011/01/24


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