心にしみる一言(136) 触れることは大きい。目の見える人にはわからないが
◇一言◇
京触れることは大きい。目の見える人にはわからないが
◇本文◇
京都・仁和寺の第45世門跡、松村祐澄さんが差し出した名刺はちょっと変わっていた。印刷された字のほかに、肩書や名前が点字で打ってあった。当時78歳だった松村さんは「70の手習い」とかで、点字の般若心経にまで挑戦していた。視覚にまつわる印象深い思い出があるからだった。
松村さんは1988年から92年まで、仁和寺の門跡を務めた。その間に、目の不自由な女性仏師と知り合った。仏師は松村さんに、「国宝の仏像に触れさせてほしい」と頼んだ。そのことが、やがて点字へとつながっていく。その思い出を語ってくれた。
「仏師にとって、仏像を見ることは、自分の技を磨くうえでも大切なことでしょう。しかし、目の不自由な仏師は、手で触れて感じることで、『見る』ことになるのです。しかし、僧でさえ滅多にさわることのない仏像ですから、『もし、倒れて傷でもついたら』と心配する声がありました」
結局、松村さんの「自分が責任を持つ」の一言で、仏師は国宝の仏像に触れることができた。「仏師は感激して、言葉がなかった」と、松村さんは振り返る。「触れることは大きい。目の見える人にはわからないが」と、言葉を継いだ。(梶川伸)2017.12.01、
更新日時 2017/12/01