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豊中運動場100年(97) 第2回全国専門学校野球/関西学院が連覇飾る

連覇を飾り優勝旗を受け取る関西学院の選手たち

 大学野球で一気に注目を集め始めた豊中運動場では、1920(大正9)年8月、前年の第1回大会に続いて「第2回全国専門学校野球大会」(大阪毎日新聞社主催)が開かれた。山口高商、富山薬専、大阪薬専、関西学院、大阪高商、大阪高工、関西大、大阪医大予科、立命館(途中棄権)の9校が参加した。
 この大会の直前には、主に高等学校が参加する第9回全国直轄学校野球大会(京都帝大野球部主催)が三高運動場で開催されており、山口高商と大阪高工はこちらの大会にも参加している。同時期に豊中と京都で大学野球の大会が開かれたのがきっかけになったからだろうか、翌年の1921年には両大会が統合された形で「高等専門学校野球大会」が京都で開催された。北は北海道帝国大学予科、南は長崎高商、長崎医専と全国から17校が参加する最大規模の大会になったようだ。豊中運動場で始まった全国大会が、大学野球界を大きく前進させたことは間違いない。
 8月27、28日の1回戦は、大差がつくコールド試合が相次いだ。中でも関西学院に0―17で敗れた大阪高商の大敗には誰もが驚いた。大阪高商はわずか2安打、投げては12四死球、守っては6失策と良いところがなく、7回表には四球と失策で7点も奪われてしまった。新聞には「往年、早稲田や明治、法政に対抗して遜色なかった大阪高商野球の末路を悲しむ」と書かれる始末だった。
 一方で初陣の関西大学の奮闘が目を引いた。大阪高工に敗れはしたものの、9回裏1死満塁から5点をたたき出して2点差に詰め寄り、あと一歩のところで大逆転のサヨナラ試合かと思わせる熱戦を繰り広げた。
 8月29日の準決勝第1試合は、伸長著しい山口高商と大阪高工が対戦した。
 山口高商の主戦・池田投手は、7回まで2塁を踏ませない好投。8回裏に失策で1点を失ったものの、池田投手の無安打、17奪三振の活躍で大阪高工に快勝した。
 準決勝の第2試合は絶好調の関西学院に大阪医大予科が挑んだ。
 関西学院は序盤から着実に得点を重ねた。13安打を放つ一方、12盗塁と機動力も使って12点を挙げ零封勝ちを収めた。医大予科はわずか1安打、失策も10を数え敗れてしまった。
 攻守に鍛え上げられた関西学院と山口高商は8月30日、決勝で対決した。大学野球の日本一を決めるのにふさわしい好試合とあって、豊中運動場は超満員。関西学院・山口、山口高商・池田両投手の息詰まる投手戦になると予想された。
 関西学院が1回表に先制すれば、山口高商は4回裏に追いつく。互いに好機はつくるが両投手の力投に凡打が続いた。ヤマ場は8回表だった。関西学院は1死満塁から四球で押し出し、適時打も浴びせて一挙に3点を奪取した。コントロール抜群の池田投手の一瞬の隙を見逃さなかった。
 4―1で山口高商を降した関西学院が、第2回大会も制して見事に連覇を飾った。(松本泉)
     ◇
※当時の学制は現在と大きく異なるため、帝国大学、旧制高等学校、旧制高等専門学校、高等師範学校、専門学校令・大学令で認可された私立大学を「大学」としました。

◇第2回全国専門学校野球大会
【1回戦】(8月27、28日)
山口高商 14―0 富山薬専
(八回コールド)
関西学院 17―0 大阪高商
(七回コールド)
大阪高工  9―7 関西大
医大予科 22―6 大阪薬専
(六回コールド)
※立命館は棄権
【準決勝】(8月29日)
山口高商
  200001030=6
  000000010=1
大阪高工
関西学院
  024001050=12
  000000000=0
医大予科
 【決勝】(8月30日)
関西学院
  100000030=4
  000100000=1
山口高商
 (関)山口―和田
 (山)池田―花田
=2017.11.01

全国専門学校野球大会 全国直轄学校野球大会

更新日時 2017/11/01


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