このエントリーをはてなブックマークに追加

豊中運動場100年(103) ラグビー第4回大会/中学の部、同志社連覇

連覇を飾った同志社中(左上)と応援の学生で埋まった観客席

日本フットボール優勝大会(現在の全国高校ラグビーフットボール大会、全国高校サッカー選手権大会)の第4回大会は、1921(大正10)年2月に開かれた。天候に恵まれなかった大会で、開幕日の11日は前日からの雨でグラウンドが泥沼になっていた。
ラジオもテレビもなく、電話も限られた世帯にしかなかった当時、試合予定をチームに伝えるのは今では想像できないほど大変だった。試合が雨天中止になったと勝手に思い込むチームが多かったようで、新聞に「少雨にても競技は開始しますから選手諸君は必ず来場願います」と大きな活字の注意書きが掲載された。
ラ式蹴球(ラグビー)中学の部には、同志社中、慶応普通部、京都一商の3校が出場した。慶応普通部は中学の部ができてから初めての出場になった。
 準決勝の同志社中-慶応普通部は11日午後4時に始まった。
 泥水のしぶきが舞い上がる中、同志社の吉田選手がトライを決めて前半を終えた。後半は同志社の堅守と慶応の反撃がぶつかり合った。
 そこで慶応にとっては悔やんでも悔やみきれない「幻のトライ」が生まれた。
 慶応右ウイングの佐々木選手が独走態勢となった。「同点トライだ」と白線を右側から大きく回り込んでスピードを緩めた瞬間、猛烈なタックルを受ける。佐々木選手が見た白線はサッカー用の白線で、ラグビー用の白線はまだ数ヤード先だったのだ。
 豊中運動場では、ラグビーのコートを南北に、サッカーのコートを東西に設け、十字形に交わっていた。悪天候でグラウンドが荒れていたこともあって、ラインを見間違ったらしい。
 これがトライになっていれば慶応は同点に追いつき、キックが決まれば一気に逆転していた。結局、同志社が3-0で慶応を退けた。
 翌12日の決勝は、同志社中と京都一商が激突した。
 前年と同じ対戦で優勝を逃している京都一商は、何としても雪辱を果たしたいと試合に臨んだ。しかし巧みなパス回しを見せる同志社は、終始試合をリードした。京都一商は今一歩及ばず、同志社中が二連覇を飾った。
 一方、高専・大学の部は前年出場校がなく中止されており、今大会が初めての開催となった。慶応大学、大阪高商、関西学院高等部の3校が出場した。
 11日の準決勝・慶応大-大阪高商は、慶応が前半に10点、後半に23点を挙げて圧勝した。13日の決勝は、慶応大-関西学院高等部の対戦となった。慶応は前半3分でトライを決めたのを皮切りに猛攻を見せた。44-0の大差をつけて関学高等部を圧倒し、初優勝を決めた。(松本泉)

【第4回大会ラグビー中学の部】
▽準決勝(2月11日)
同志社中3-0慶応普通部
▽決勝(12日)
京都一商
 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
 T G P D 前 T G P D 後 計
 1 0 0 0 3 1 0 0 0 3 6
同志社中

【同高専・大学の部】
▽準決勝(11日)
慶応大学33-0大阪高商
▽決勝(13日)
関西学院高等部
 0 0 0 0  0 0 0 0 0  0  0
 T G P D  前 T G P D  後  計
 8 1 0 0 25 6 1 0 0 19 44
慶応大学

■写真説明 連覇を飾った同志社中(左上)と応援の学生で埋まった観客席

更新日時 2018/02/07


関連地図情報

関連リンク