豊中運動場100年(96) 第1回全国専門学校大会/関西学院が優勝飾る
大学野球の初の全国大会となった「第1回全国専門学校野球大会」が豊中運動場で開かれた1919(大正8)年ごろ、日本の野球の最高峰は、現在の東京六大学に当たる早稲田、慶応、明治、法政の4大学リーグ連盟だった。春と秋のリーグ戦は大々的に新聞で報道され、野球ファンならずとも大きな注目を集めた。
4大学以外には、一高―三高、五高―七高、松山高―山口高などの対抗戦の人気が高かったものの、中等学校野球のように全国大会を頂点に各地域での大会がファンの裾野を広げていくということにはならなかった。
東京の連盟に対抗しようと、京阪神では、同志社、関西大学、関西学院、大阪薬専、大阪高工、大阪高商、大阪歯科医専が関西大学野球連盟を結成したが、本格的なリーグ戦の開催には至らなかった。その後もさまざまな連盟が生まれては消えていった。
一方で大学が力を入れたのは、各地域での中等学校野球大会の開催だった。全国大会への大阪代表を決定するために豊中運動場で開催する大阪野球大会は、大阪高商が主催した。同様に神戸高商が兵庫野球大会、四高が北陸野球大会を主催して、全国大会への代表校を決めた。
このほか、長崎高商が九州中等学校野球大会、山口高商、新潟医専、六高、明治専門学校がそれぞれ近県中等学校野球大会を主催し、各地域の野球振興の要になっていた。
第1回全国専門学校野球大会は1919年9月20日、準決勝を迎えた。
第1試合は、大阪歯専に圧勝した同志社と、大阪高工を好試合で降した大阪高商が対戦した。
大阪高商は1回裏と4回裏に犠飛で得点し、5回裏には西川選手の3塁適時打で2点を加えて終始リードを保った。同志社は6盗塁を記録するなど機動力を駆使したが、最終回に無死2塁から1点を返すにとどまった。大阪高商が決勝に名乗りを上げた。
第2試合は、大阪医大予科にコールド勝ちした神戸高商と、大阪薬専に大勝した関西学院がぶつかった。
1点を競い合う緊迫した試合になったが、関西学院は好機を逃さずに得点につなげ、内海投手が相手打線を3安打に抑える好投を見せて快勝した。
関西学院と大阪高商の決勝は、翌21日午後2時15分に始まった。
関西学院は、大阪高商の西川、下山、戸田の3投手に12安打を浴びせて20点をもぎ取る。一方、投げても内海投手が大阪高商打線を5安打に抑える好投を演じた。予想外の大差で関西学院が勝利を収めて、第1回大会の覇者となった。
豊中運動場に大学野球の大きな一歩が記された。(松本泉)
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※当時の学制は現在と大きく異なるため、帝国大学、旧制高等学校、旧制高等専門学校、高等師範学校、専門学校令・大学令で認可された私立大学を「大学」としました。
◇第1回全国専門学校野球大会
【準決勝】(9月20日)
同志社
000000001=1
10012000×=4
大阪高商
神戸高商
000001000=1
10000001×=2
関西学院
【決勝】(9月21日)
関西学院
100636022=20
000200000=2
大阪高商
(関)内海―北村
(大)西川、下山、戸田―多木、井上
更新日時 2017/10/26