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豊中運動場100年(90) 雨で超過密スケジュール 悪条件の中、記録低調

砲丸投げで日本新記録を出した中村正祐選手(右)と棒高跳びで優勝した竹内広三郎選手

世界に直結する大会として「優勝よりも記録の更新」を目指すことがスローガンになった「第4回日本オリンピック大会」(大阪毎日新聞社主催)は、1918(大正7)年11月9日、豊中運動場で開幕した。翌年にマニラで開催される第4回極東選手権競技大会(極東大会)の代表を選考する大会として注目を集めたが、初日の9日は雨に悩まされ、午後1時半に中止になってしまった。
翌10日もグラウンドには水たまりが残っていたうえ、冷たい北風が吹きつけた。懸命の整備の結果、ようやく正午に競技を開始したものの1日半の予定を半日で済ませる超過密スケジュールになってしまった。
 コンディションが今一つだったためか、記録的には前日と比べるとやや低調。砲丸投げで中村正祐選手(神戸高商)が自己の日本記録を更新するにとどまった。
大会の最大の注目はやはりマラソン。豊中運動場から宝塚新温泉を目指す12マイル(19キロ)で、日本オリンピックではすっかりおなじみになったコースだった。
 175人が参加したレースは、午後3時10分に豊中運動場をスタートした。能勢街道に出たころから高橋金一選手が先頭に立ち、そのまま独走。2位に2分以上の差をつけて優勝した。半年前に初めて10マイル走を経験したという高橋選手は「毎晩、勤め先の長堀橋から築港を往復して練習を続けてきた。今後も奮闘したい」と喜びを語った。
3位でフィニッシュした牧田広清選手は、そのまま宝塚駅から電車に飛び乗り5000メートル走出場のために豊中運動場へ引き返すという荒業を披露した。しかし豊中に戻ったときには既に競技が終わっていたという。
豊中運動場で誕生し、陸上競技の全国大会として定着した日本オリンピックだが、豊中での開催はこの第4回大会が最後になる。翌年の第5回大会は奈良の春日野運動場が会場になった。年ごとに人気が高まり、観客が増え続けていただけに、豊中運動場の観戦設備やアクセスとなる阪神急行電鉄の輸送力などが原因だったのかもしれない。
ただ大日本体育協会主催の全国陸上競技大会も、陸軍戸山学校運動場、芝浦運動場、東京帝大駒場運動場、鳴尾運動場と会場を転々としている。甲子園大運動場(現在の阪神甲子園球場)や明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場)、大阪市立競技場など、大規模スタンドを備えた総合グラウンドができる5~6年後まで、スポーツの全国大会はまず会場探しに頭を悩ませた。(松本泉)

【第4回日本オリンピック優勝者】
100メートル=奥山一三(神戸高商)▽真殿三三五(体協)11秒4
200メートル=真殿三三五(体協)24秒0
400メートル=佐伯厳(同志社)55秒2
800メートル=佐伯厳(同志社)2分16秒4
1500メートル=多久儀四郎(天王寺師範)※4分32秒2
5000メートル=加藤富之助(明治大)17分35秒2
 マラソン(12マイル)=高橋金一1時間9分38秒
110メートル障害=奥山一三(神戸高商)※17秒
200メートル障害=佐伯信男(京都帝大)28秒4
800メートルリレー=神戸高商A1分42秒2
1600メートルリレー=神戸高商4分10秒6
 メドレーリレー=岡崎アスレチック4分17秒6
走り幅跳び=北村栄二郎(会社員)5メートル89
走り高跳び=谷井三平(神戸二中)1メートル50
棒高跳び=竹内広三郎(東京高師)2メートル70
砲丸投げ=中村正祐(神戸高商)※10メートル82
 やり投げ=甲斐義智(三菱)36メートル40
 円盤投げ=宮本常蔵(関西学院)25メートル71
 ハンマー投げ=佐藤義江(東京高師)24メートル14
五種競技=佐藤義江(東京高師)249点
十種競技=鴻沢晋老513点
 ※は日本新記録
=2017.06.26

日本オリンピック大会 極東選手権競技大会 宝塚新温泉 能勢街道 春日野運動場 大日本体育協会 陸軍戸山学校運動場 芝浦運動場 東京帝大駒場運動場 鳴尾運動場 甲子園大運動場 明治神宮外苑競技場 大阪市立競技場

更新日時 2017/06/26


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