豊中運動場100年(88) 快進撃続くシアトル旭 全大阪、一矢報いる
大正時代、米国には日本人移民たちがつくった野球チームが多数活躍し、その実力も極めて高かった。そんな日本人チームの一つ「シアトル旭倶楽部」が1918(大正7)年9月に来日。豊中運動場で、大阪のチームと熱戦を繰り広げた。
米国在住の日系2世選手が中心のシアトル旭は北野中、大阪高商を破って勢いに乗り、9月28日に大阪高等工業と対戦する。
午後2時40分に始まった試合は、シアトル旭・瀧本投手、大阪高工・内藤投手の息詰まる投手戦になった。3回裏、大阪高工は1死3塁と先制の好機を迎えたが、続く打者が三振、遊ゴロに倒れてしまう。
試合が動いたのは5回表。シアトル旭は2死2塁で、瀧本選手が右中間に値千金の適時打を放ち1点を奪取した。結局この1点が決勝点となりシアトル旭が接戦を制した。
瀧本、内藤両投手ともに許した安打は3本。失策はシアトル旭が2、大阪高工が1で、見応えのある引き締まった試合だった。
29日には全大阪、30日には市岡中との試合が予定されていたが、雨天のため中止になる。10月2日に全大阪との試合が組まれ、これが大阪でのシアトル旭の最終戦になった。
豊中運動場でのシアトル旭は3戦全勝。大阪の優秀な選手を集めた全大阪チームで、何としても一矢を報いたいところだった。
試合は全大阪のペースで進んだ1回裏、全大阪は1死3塁で三宅選手が左前打を放ち先制。5回裏には石川選手の2塁適時打と敵失で2点を追加する。続く6回裏にも河原選手の2塁打で1点を挙げて突き放した。
結局、シアトル旭は9回までゼロ行進のまま。全大阪が4―0で完勝した。石川投手は1安打完封勝ち、三振7を奪う好投だった。
シアトル旭は1カ月に及ぶ遠征の疲れが出たのか、雨天中止が続いてリズムを崩したのか。5失策を記録するなど精彩を欠いた敗北だった。
シアトル旭の選手たちの不安の一つは「グラウンドがお粗末ではないか」ということだった。福田藤吉監督は試合後、豊中運動場のコンディションに触れて「日本のグラウンドは悪いと聞いて来たが、案外良いと思う」と話している。ただ「不完全だと思ったのは見物席の設備で、試合中にあんなに外野に押し出したり、試合終了後に潮のように観衆がグラウンドへあふれ出してはたまらない」と苦言も。「見物席の設備さえ十分に出来れば決してアメリカに対しても恥ずかしくない」と太鼓判を押している。
日本野球のレベルについては「米国の商売人のゲーム(プロ野球)はうまいのはうまいが、すべてが機械的になってちっとも面白くない」としたうえで「これに反して日本の野球はいかにも精神的なゲームのような感じがしてならない」と評価している。
また主戦の中村鶴英投手は、豊中運動場での4試合を振り返って「これほどまでに母国の野球が進歩していようとは思わなかった。大いに驚いた」と話した。
シアトル旭はその後、神戸と広島・呉で試合をして米国へ戻った。日本で滞在中の成績は17勝9敗と大きく勝ち越した。豊中運動場での日系2世選手たちの活躍は、日本人選手への大きな刺激になったに違いない。(松本泉)
【9月28日】
シアトル旭
000010000=1
000000000=0
大阪高工
【10月2日】
シアトル旭
000000000=0
10002100×=4
全大阪
=2017.05.30
更新日時 2017/05/30