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心にしみる一言(104) 昔の造り酒屋は、客は酒屋(小売店)だと思っていて、最終的な客である飲み手の顔を見る必要がなかった。しかし、そんな時代は終わった

◇一言◇
 昔の造り酒屋は、客は酒屋(小売店)だと思っていて、最終的な客である飲み手の顔を見る必要がなかった。しかし、そんな時代は終わった

◇本文◇
 20年ほど前、岡山県津山市に行った際、「おとめごころで酒を造る会」という粋な名前に一目ぼれをして、会員になったことがあった。米づくりから体験をして、自分だけの日本酒を手に入れる会で、「おとめごころ」とは、岡山県農業試験場が1995年に育成した新しい飯米(酒米ではない)のことだった。
 自分の酒を手にした後、この苅田(かんだ)酒造の試みや、消費者参加型の酒造りについて改めて取材した。日本酒の消費が落ちていく中での取り組みだけに、真剣な言葉をたくさん聞いた。
 苅田酒造専務だった苅田善嗣さんは「地元の米にこだわって、消費者と一緒に米づくりから酒づくりまでをしたい」と会の趣旨を語ったが、「日本酒は日本人の生活にとって欠くことができないものだった。ところが最近は、ワインなどに押されている。それは日本文化が失われていくことだ」という危機感が背景にあった。
 島根大学客員教授で造る会の会長だった堀江修二さんも「つくり手の顔の見える商品を目指すのが、地酒屋の生きる道。個性の強い日本酒を指向しなければ、個性のあるワインや地ビールに押されてしまう」と、危機感を共有しているようだった。
 大阪府交野市の大門酒造も、消費者参加の酒造りを進めていた。社長の大門康剛さんは「その土地の米と水を使った自前の地酒」を強調し、「酒蔵の生き残り策の1つだ」と言った。そのうえで、上記の分析である。
 さらに消費者参加型について、「造り手と飲み手に疑似的一体感が生まれる。飲み手は知的満足を得て、造り手は蔵を理解してくれるファンを増やすことができる」と語り、造り手と飲み手の顔の見える関係の大事さを強調した。(梶川伸2017.05.11

更新日時 2017/05/11


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