豊中運動場100年(86) 第3回「大阪野球大会」が開幕/市岡中「幻の代表」に
1918(大正7)年は重く厚い雲が垂れ込めた年だった。泥沼状態だった欧州大戦(第一次世界大戦)は同年11月にようやく終結したが、シベリア出兵などの影響で物価が高騰し庶民生活を直撃した。秋にはスペイン風邪が大流行して多くの死者が出た。スポーツ界にも影を落としていく。
鳴尾運動場で開かれる第4回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)の大阪代表を決める第3回大阪野球大会(大阪高等商業学校主催、大阪朝日新聞社後援)が、豊中運動場で8月1日に開幕した。全国大会こそ鳴尾に持っていかれたものの、年に1度開催される大阪大会は、全国大会並みの人気を集めた。
参加したのは北野中、西野田職工、市岡中、関西甲種商業、大阪商業、今宮職工、天王寺中、大阪貿易語学校、八尾中、堺中、桃山中、明星商業の12校。春から対抗試合を重ねて実力をアップしている北野中、市岡中、天王寺中、桃山中、明星商の5校による優勝争いと予想された。
1回戦は実力差がはっきりと点差に出る試合が続いたものの、準決勝では実力伯仲のベスト4が激突。市岡中と北野中が決勝に駒を進めた。
前年の決勝で明星商と大接戦を演じて敗れた北野中は、雪辱を期していた。全国トップ級の実力といわれながら前年は準決勝で涙をのんだ市岡中は、何が何でも2年ぶりに大阪代表の座を射止めねばならなかった。
決勝は8月5日午後3時に始まった。
北野中と市岡中の対戦は「大阪の早慶戦」といわれる人気の好カードで、豊中運動場は朝早くから大勢の観客で埋まった。
1回裏に北野中が簗選手の安打を足がかりに先制すれば、2回表に市岡中は山本楢美選手の右前打や敵失で2点を上げてすかさず逆転。市岡中が3回、5回と加点したのに対し、北野中は6、7回と1点ずつ奪い点差を詰めて終盤勝負になったかに見えた。
市岡中は8回表、2死から山本選手の2塁打に続き、鈴木武雄選手、空秀太郎選手の連打で1点をもぎ取り突き放しにかかった。追いすがる北野中は土壇場の9回裏、1死2、3塁とサヨナラの好機をつかんだ。ところがスクイズが投飛の併殺打となってあっけない幕切れとなる。市岡中が5―3で勝ち、2度目の全国大会出場を決めた。
北野中は三振なし、安打数で市岡中を上回ったものの、好機であと1本がでなかったのが悔やまれた。市岡中は失策が少なく、敵失を確実に得点につなげ、何よりも2年続けての山本―鈴木のバッテリーが絶妙の駆け引きを演じて北野中に隙を与えなかった。
豊中運動場での熱戦をよそに、世の中は騒然とし始めていた。
富山県で8月初めに起こった米騒動は瞬く間に全国に波及し、各地で軍隊が出動する騒ぎになった。鳴尾運動場に近い神戸でも米穀店が群衆に襲撃され、鈴木商店が焼き打ちされてしまう。第4回全国中等学校大会は、北野中学のグラウンドで無観客で開催することも検討された。しかし、騒ぎはますます拡大していったことから、主催する大阪朝日新聞社は8月16日に大会の中止を決定した。
市岡中は「幻の大阪代表」になってしまった。(松本泉)
■第3回大阪野球大会(8月1日~5日)
▽1回戦
北野中 16―1 西野田職工
市岡中 18―1 関西甲種商
大阪商 15―1 今宮職工
天王寺中 20―0 大阪貿易
八尾中 6―2 堺中
桃山中 10―5 明星商
▽2回戦
北野中 7―5 天王寺中
桃山中 8―1 八尾中
▽準決勝
市岡中 5―4 大阪商
北野中 6―0 桃山中
▽決勝
市岡中
021010010=5
100001100=3
北野中
(市)山本―鈴木(北)簗、安田―佐伯
=2017.05.26
更新日時 2017/04/26