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豊中運動場100年(85) フートボール大会サッカー決勝/多くの課題残し幕

第1回大会のサッカーで優勝した御影師範(上)とラグビーの同志社(下)

現在の全国高校ラグビーフットボール大会、全国高校サッカー選手権大会となる「日本フートボール優勝大会」第1回大会のア式蹴球(サッカー)の決勝は1918(大正7)年1月13日、ラ式蹴球(ラグビー)決勝に引き続いて行われた。
決勝は、奈良師範、神戸一中を破った御影師範と、関西学院、姫路師範と勝ち進んだ明星商業の対戦となった。
白いユニホームで登場の御影師範は、関西最古の歴史を誇る強豪チーム。絶妙のドリブルを見せるレフトウイングの不動選手を中心にしたチームワークの良さが特長で危なげなく勝ち上がってきた。一方、白とグレーのボーダーのユニホームの明星商業は、強力なハーフバックを武器に決勝進出を決めた。
御影師範と明星商業は、3カ月前に開かれた近畿蹴球大会の決勝でも対戦しており、このときは明星商業が勝利を飾った。雪辱を果たしたい御影師範。勢いのまま全国制覇を果たしたい明星商業。実力校同士の白熱した試合になる予感が豊中運動場に広がった。
午後4時15分に決勝戦が始まった。
開始直後、御影師範の電光石火の攻撃が功を奏する。一気に攻めかかり、不動選手がヘディングでゴールを決めて先制した。明星商業も果敢に敵陣に攻め込むが御影師範の好守に阻まれて前半が終了した。
後半も御影師範が押し気味に試合を進めた。不動選手を中心にした連係プレーでしばしば左サイドを突破する。しかし明星商業はしっかりとゴールを阻んだ。一進一退が続いたもののそのまま試合は終わり、1―0で御影師範が優勝を決めた。
明星商業の神田清雄選手が後に第1回大会を振り返っている。「当時、サッカーをやっている学校が少なく、対抗試合は年に2、3回で練習ばかりしていた。試合が少ないので戦術は幼稚だったし、技術的にも極めて低かった」。それでも初のサッカー日本1を決める試合とあって、豊中運動場を埋め尽くした観客は最後まで大きな声援を送った。
こうして第1回大会は大盛況に終わったものの、数多くの課題も残した。
審判は東京高等師範でのサッカー経験者が中心だった。しかし、人数がそろわず、やむなく野球取材担当の新聞記者らがラインズマンを引き受けた。ルールに詳しくないことから「オフサイドはなし」という変則的な決まりになった。また「スローインはラインと直角に投げなければならない」「コーナーキック、ゴールキックは、選手全員が定位置についたことを確認した主審の笛が鳴った後でなければならない」といったルールも設けられた。全国的な統一ルールがなく、審判もまだ試合に慣れていなかった。
試合は荒々しかった。突き飛ばしたり、蹴飛ばしたりは茶飯事で、時には相手を腰投げで投げ飛ばしたり、選手全員で殴り合いになることもあった。
応援はもっと荒っぽかった。下品極まりない学生のやじに対して、当時の新聞はこんな苦言を呈している。
「学生の野次が下等な悪罵(あくば)を逞(たくま)しゅうして平然たりしは当日最後まで健闘した選手の努力を傷つけること甚だしかった」(松本泉)

◇第1回日本フートボール優勝大会
ア式蹴球(サッカー)
【1月13日決勝】
御影師範 1―0 明星商業
=2017.04.20

日本フートボール優勝大会 御影師範 明星商業 近畿蹴球大会

更新日時 2017/04/20


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