豊中運動場100年(83) フートボール大会開幕 サッカー編/みぞれ混じり、8校熱戦
ラグビーとサッカーが同時に行われた日本フートボール優勝大会(現在の全国高校ラグビーフットボール大会、全国高校サッカー選手権大会)の第1回大会の出場校は、ラ式蹴球(ラグビー)4校、ア式蹴球(サッカー)8校だった。
野球と比べればフットボール競技の認知度は低く、サッカーで出場した神戸一中の有村良秋選手は後に「試合相手は少なかった。中学生、大学生、外国人と相手を選べなかった」と語っている。サッカーの出場校は半分が師範学校だった。早くからサッカーを正式競技とした東京高等師範学校から全国に伝わったためで、指導者も限られていた。
1918(大正7)年1月12日、ラグビーと交互でサッカーの1回戦も始まった。みぞれ混じりの雪のせいで、雑草対策にまかれた石炭がらから黒く濁った水が染み出た。暖を取るためのたき火がいくつも置かれた。
開幕戦は、赤と紺の横じまのユニホームの明星商業と、真っ白なユニホームに赤だすきをかけた関西学院の対戦となった。
正午。3発の号砲で試合が始まった。年末年始に豊中で合宿して練習を重ねてきた明星商業が試合を終始リードした。前半15分に浅井選手、後半20分に川村選手がゴールを決め、2―0で明星商業が快勝。実力の差を見せた。明星の応援団長は「開幕戦に勝つなんてこんなうれしいことはない。明日は両方のスタンドに陣取って応援する」と笑顔で語った。
続いて御影師範と奈良師範が対戦した。御影師範は最強チームと評価が高く、当時はフォワードとハーフバックの連係の良さが他チームを圧倒していたという。初戦から連係プレーがさえた御影師範が2―0で奈良師範を降した。元東京高師選手だった奈良師範の磯田四郎教諭は試合後、「あんな負け方をするなんて出来が悪過ぎる。なぜもっと前衛が奮闘しないのか」と憤慨、一方で同じ東京高師の元選手で御影師範の松本従之教諭は「まあ良かった」と胸をなでおろした。
ラグビーの試合が1試合あったのに続き、神戸一中―堺中が行われた。両校とも新進気鋭のチームだったが、神戸一中の一方的な試合になってしまう。前半に別所選手らが4ゴールを決めてリード、後半になると堺中の選手はセンターラインを越えて敵陣でプレーすることさえできなかった。神戸一中が8―0で圧勝した。
1回戦の最後の試合となる姫路師範―京都師範は翌13日午前10時に始まった。ともに鍛え上げられた実力チームで、大会中の好ゲームと前評判は高かった。
前半、姫路師範の三木選手のヘディングに対し、京都師範のキーパーが前に出すぎていたためゴールが決まって先制する。後半は京都師範が敵陣に再三にわたって攻め込むが、姫路師範の鉄壁の守備にはばまれてゴールは決まらない。緊迫した攻防戦は1―0で姫路師範が逃げ切った。敗れた京都師範の馬渕主将は応援団の前で号泣、自らの右脚を指して「今日はこの脚が、どうもこの脚が…」と叫んで悔しがった。
1回戦は実力チームが順当に勝利を収め、ベスト4に駒を進めた。(松本泉)
◇第1回日本フートボール優勝大会
ア式蹴球(サッカー)
【1月12、13日1回戦】
明星商業 2―0 関西学院
御影師範 2―0 奈良師範
神戸一中 8―0 堺中
姫路師範 1―0 京都師範
=2017.02.23
更新日時 2017/02/23