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豊中運動場100年(81) フートボール大会開幕 ラグビー編/「楕円追う妙技」観客魅了

ラグビーはまだ一般になじみが薄かったが、同志社と三高の熱戦は観客を魅了した

 現在の全国高校ラグビーフットボール大会、全国高校サッカー選手権大会につながる「日本フートボール優勝大会」(大阪毎日新聞社主催)の第1回大会は、1918(大正7)年1月12日に豊中運動場で開幕した。
 豊中運動場には南北方向にラグビーコート、東西方向にサッカーコートが設けられた。上から見ると十字形に両方のコートが交わっていた。ラグビーの次はサッカー、その次はラグビーと交互に試合を行えるようにする苦肉の策ではあったが、サッカーのラインを見て突然トライするラグビー選手や、ラグビーのラインを見てあわててボールをライン内に蹴り返そうとするサッカー選手がいて混乱した。
ここでは混乱を避けるために、まずラグビーに絞ってその戦いを追っていこう。
初日、12日の第3試合で初めてラグビー試合がお目見えした。
関西ではいち早くラグビーを取り入れた同志社と三高が対戦した。フォワードが強みの同志社が黒と水色のユニホームなら、バックスが自慢の三高は茶と白のストライプのユニホーム。三高のキックオフで午後2時10分に始まった。
前半5分で早くも同志社の矢野選手が先制のトライ。三高は小木曽選手、香山選手が果敢攻め込むが阻止される。同志社は11―0とリードして前半を終えた。
後半も同志社の猛攻が続いた。スクラムを押して有田選手がトライを決めたほか、矢野選手はゴールポストの真ん中にトライ。同志社が終始優勢に試合を進め、19―0で勝利した。
一般の市民にはまだまだなじみがなかったとはいえ、激しくぶつかったり、タックルで相手を倒したりする球技は新鮮だったようだ。また楕円(だえん)形のボールを使うのも不思議な魅力を広げたらしい。「闘牛のごとく両軍の前衛がスクラムして球を争う刹那の妙技」「敵に妨害され地上に転倒しつつも危険を恐れず球を抱えて味方の来援を待つ犠牲的精神」(ともに大阪毎日新聞の戦評から)は観客を魅了した。
翌13日は第1試合で全慶応―京都一商が組まれ、第5試合で決勝戦を予定していた。ところが慶応は、第1試合開始予定の午前9時になっても豊中に現れなかった。主催者はやむなく慶応は棄権したとみなして京都一商の不戦勝とした。
「前日に神戸で行った神戸外国人団との試合で苦戦し疲労した」というのが表向きの理由だった。しかし本当の理由は「実力差があまりにも大きい京都一商と対戦して、中学生に衝撃を与えてしまうのはしのびない」ということだったらしい。前日に僅差ながら神戸外国人団に勝ったことですっかり満足してしまったということもあったようだ。
実は慶応の選手はこの日、決勝戦に駆けつけて応援席から全員で京都一商を応援している。「疲労した」は理由になっていなかった。
ハプニングが続く中で、いよいよラグビーの決勝が始まる。(松本泉)
◆第1回日本フートボール優勝大会
ラ式蹴球(ラグビー)
【1月12日第3試合】
全同志社19―0三高
【1月13日第1試合】
京都一商(不戦勝)全慶応
=2017.01.30

日本フートボール優勝大会

更新日時 2017/02/01


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