能勢街道をゆく⑦ 曽根~岡町
曽根駅で降りて、まず東光院へ向かった。「萩の寺」として有名だ。小さな山門を入って、すぐ左手に魯山人(ろさんじん)観音と名づけられた石仏があった。
美食家で陶芸家でもあった北大路魯山人を顧問兼料理長に迎えた高級料亭「星岡茶寮」(東京)が1935年、大阪店を寺のそば開いた。その際、魯山人が手作りの観音を奉納した。寺は2005年、その観音を等身大に模刻し、安置したと説明にあった。
能勢街道の東側を散策する。桜塚古墳群の一角で、いくつもの古墳に出会う。豊中警察署の南側には、南天平塚(みなみてんぴんづか)古墳がある。5世紀後半の築造で、埴輪が並べられていたらしい。今は4分の3が削り取られ、松の木3本などが立つ風景として残っている。
豊中署のすぐ北にある御獅子(おしし)塚古墳は、当時の姿が一部復元されている。墳丘が石で覆われ、墳丘のテラス部分に埴輪(はにわ)が配置してある。埴輪は7本に1本の割合で、口の開いた朝顔型埴輪となっていた。
そのすぐ北側には大塚古墳がある。古墳を中心に大塚公園として整備され、墳丘に登れるほか、古代の住居をかたどった造形もある。また、古墳群に点在する36の古墳の位置を表示した説明板もあった。
服部緑地まで足を延ばすと、円形花壇の中に梅塚古墳。現在の土盛りは、古墳北側の突出部の一部だそうだ。
岡町駅の方向に軌道修正した。明治時代の初めまで、長興寺の雨乞(あまごい)い神事が行われていた皿池に寄る。今は公園となり、池には噴水が設けられ、紅葉を背景にして水を噴いていた。
能勢街道は岡町駅の近くで、商店街へ入っていく。原田神社のそばに桜塚古墳群にまつわる桜塚碑がある。古墳は豪族のものと推察され、桜で飾られた、と説明にあった。今回の街道・古墳めぐりには、ふさわしい終着点となった。(梶川伸)
=地域密着新聞「ナチゴト豊中・池田」第11号(2010年12月3日)
更新日時 2010/12/06