豊中運動場100年(65) 初の無安打無得点/中等学校野球、市岡中・松本投手
1916(大正5)年の第2回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)から「野球規則」が採用された。まだ完全なものがなかった前年の第1回大会では急きょ「11カ条の試合規則」をつくってしのいでいただけに、「全国大会をやるのに正規の野球規則がないのはまずい」との声が上がっていた。
大会後、朝日新聞社が中心になって編集を進め、全国の野球人でつくった野球審判協会で審議し完成。この第2回大会は正式の野球規則で開催される初めての大会となった。
大会第3日の8月18日から2回戦に入った。
第1試合はともに前日の初戦を勝利で飾った香川商と慶応普通部が対戦した。
試合は選手層の厚い慶応が地力を発揮して香川商を圧倒する展開となる。慶応は1回裏に2死満塁から四球押し出しで先制し、続く2回裏は2死3塁でダン選手の適時打が飛び出し1点追加。3回裏には3連続3塁打で2点、4回裏にも2点を挙げて前半で香川商を6―0と突き放した。
香川商は6回表、慶応の先発・新田恭一投手から交替したばかりの河野元彦投手を攻め立て、スクイズなどで3点を返した。7回表には連打で1死満塁、8回表にも2死満塁の好機をつくったが得点に結び付けられなかった。一方で慶応は、6回裏に2点、7回裏に1点と着実に追加点を挙げて勝利を収めた。慶応は3塁打4本を含む13安打の猛攻を浴びせ香川商を力でねじ伏せた。
両校で20安打が飛び出した第1試合は3時間15分の長時間の試合になった。この日は4試合を予定していることもあり、15分後には慌ただしい雰囲気の中で第2試合の市岡中―一関中戦が始まった。
市岡中の松本、一関中の菅原両投手はともに1回戦で好投しており投手戦になるのではないかと誰もが予想した。しかし試合は一方的な展開となる。
市岡中打線が菅原投手の立ち上がりを襲う。市岡中は1回表、1死3塁から田中勝雄選手の適時打で1点、続いて相手守備の乱れから2点を奪取し先制した。5回表には無死2、3塁の好機に松本終吉、平松啓次郎、山田喜克の3選手の連打で3点を追加、6回表にも2点を挙げて一関中を突き放した。市岡中は田中選手が5打数4安打の大暴れを見せるなど11安打を記録した。
投げては市岡中の松本投手が一関中打線を完全に封印して、大会初の無安打無得点試合を達成した。8奪三振、与四球3の見事な投球だった。一方、一関中の菅原投手は松本投手を上回る11三振を奪ったものの連打を浴びるなどのムラのある投球が災いした。
初の無安打無得点試合の達成は豊中運動場に新たな歴史を刻み込んだ。(松本泉)
▽8月18日
【2回戦】
香川商 000003000=3
慶応普通 11220210×=9
市岡中 300032000=8
一関中 000000000=0
=2016.05.23
更新日時 2016/05/24