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豊中運動場100年(60) 全国中等学校野球予選/市岡中がV、大阪代表に

第1回大阪野球大会決勝を伝える大阪毎日新聞。「桃山中に1点を勝ち越した油断がなかったか」と分析している

 豊中運動場では、第2回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)が1916(大正5)年8月16日から始まるのを前に、大阪の代表校を決める大阪高商主催の大阪野球大会が開かれた。前年が大阪・奈良・和歌山代表として和歌山中が出場しているため、大阪の代表校は初めて。街中は野球大会の話で持ち切りになった。
8月7日の決勝に駒を進めたのは桃山中と市岡中。桃山中は二回戦で成器商業を39―0の大差で破り、準決勝で明星商業に勝って進出した。対する市岡中は1回戦で四条畷中に20点以上の差をつけて圧勝し、準決勝では好敵手・北野中を下している。勢いに乗る両校の対決とあって、豊中運動場は試合開始の1時間前に超満員となり、場外の雑木林にまで観客が鈴なりになる騒ぎとなった。
桃山中はこれまで良い成績を残すことができなかっただけに、全国大会出場へのまたとないチャンスとなった。選手は八幡宮のお札を白鉢巻の中に入れて決勝に臨んだ。
大阪でナンバーワンといわれた市岡中は、前年の阪奈和予選決勝で惜敗して全国大会出場を逃しているだけに何としても雪辱を果たしたかった。
 実は市岡中は7月19日、早稲田大“二軍”と豊中運動場で対戦して大熱戦を演じていた。早稲田大の主力選手は3月末から7月まで米国に遠征中で、留守部隊の“二軍”は全国各地で練習試合を続けていた。“二軍”といっても精鋭ぞろいで連勝記録を更新、折りしも大阪を訪れたことから市岡中との対戦が実現した。試合は9回を終えて2―2の同点。市岡中の安打数が早大を上回る押し気味の試合だった。ところが延長戦に入った途端、早大が一挙に5点を奪取。結局2―7で市岡中は敗退してしまう。
「大学生相手に善戦していたのに……」と悔しがったのは市岡中卒業生で早大選手だった佐伯達夫氏(後の日本高野連会長)。それから2週間、佐伯氏は立ち上がれなくなっても続ける猛練習を選手に課して予選大会に備えた。
午6回まで両校ともに決め手に欠き無得点。7回表、桃山中は死球で出塁した走者が相手捕手の暴投などで1点を先制する。このまま桃山中が逃げ切るかと思われた9回裏、市岡中は2塁打で出塁した平松啓次郎選手が相手の失策に乗じて生還し同点。続いて四球と相手失策による無死3塁の好機に富永徳義選手が適時打を放ち見事にサヨナラ勝ちした。
劇的な幕切れに豊中運動場は騒然となる。寸前で勝利を逃した桃山中ナインはグラウンドにうずくまったまま動けなかった。
初の大阪代表となった市岡中は、同じ豊中運動場で9日後に始まる全国大会で大暴れすることになる(松本泉)

▽第1回大阪野球大会
【8月7日決勝】
桃山中 000000100=1
市岡中 000000002=2
=2016.03.23

全国中等学校優勝野球大会 桃山中 市岡中 佐伯達夫

更新日時 2016/03/23


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