寺の花ものがたり(46) 佛光院(京都市山科区)大山蓮華=5月上旬~中旬
中庭を開放していないので、低い垣根越しに1本の大山蓮華(おおやまれんげ)を見る。ただ、寺を始めた先々代住職の大石順教尼も、自室からこんな距離で眺めたはずだ。
現住職の木村龍弘さんと、妻で順教尼の孫美当たる恵三(よしみ)さんによると、木は昭和30年代に寄進された。朴(ほお)の木に接ぎ木してあり、木蓮に似た白い花をつける。野生種は花が小さく、下向きに咲く。これは太陽を受けるように、大きく上向きに開く。当時としては珍しく、「自慢の花で、信者にあげては威張っていた」と順教尼を語る。
山村流、西川流の舞いを習い、お座敷にも出た。ところが1905年、養父が6人斬(き)り事件」を起こし、巻き込まれて、ひじの上で両腕を切り落とされた。やいばを向けられた家族の中で、た1人生き残った。16歳だった。
カナリアがくちばし1つでひなを育てるのを見て、口に筆をくわえることに開眼した。ドイツ・ミュンヘン美術館で書画の個展を開き、東洋で初めて世界身体障害者芸術家協会の会員に加えられた。
事件の犠牲者を弔うために出家した。寺の本尊は念持仏だった千手観音と聞いて、胸がつまる。「手はみなさんが貸してくれる。千の手があるのと同じ」。それが口癖だったと聞き、本尊の深い意味を感じる。寺は障害者のための授産所の役割も果たした。
底抜けに明るい人だったと言う。小学生の恵三さんがサッカーボールをけっていた。「手で遊びなさい」と叱られ、「手でさわると反則」と教えると、「じゃあ、私には反則がない」。
好きだった大山蓮華は芳香を放つ。「脂粉の香り漂う芸の世界に身を置いたので、心をくすぐるものがあったのかも」。龍弘さんの想像である。(梶川伸)
◇仏光院(ぶっこういん)◇
京都市山科区勧修寺仁王堂町16。075-571-0503。京都市営地下鉄小野駅から徒歩10分。勧修寺の塔頭(たっちゅう)で、納経所も務める。受け付け横に、順教尼の紹介や作品展示があり、自由に見ることができる。奥の庭には原則として入れない。順教尼は1968年に死去。命日は4月21日。
=2005年4月21日の毎日新聞に掲載したものを再掲載(状況が変わっている可能性があるので、ご了承ください)
更新日時 2016/03/13