寺の花ものがたり(43) 月照寺(兵庫県明石市)八房の梅=2月下旬~3月中旬
明石海峡を見下ろす場所に、寺はあった。境内に白い小石を敷いた庭がある。岩が置かれ、それは淡路島にも見立て、周りに施された筋目は波と光を意味するとか。実物の淡路島を借景として取り込むため、塀が低く抑えてあった。
八重の紅梅が6本。白石との色の対比がいい。梅の説明書きを読んでみた。
元禄15(1702)年、赤穂浪士の大石良雄と間瀬久太夫が参拝した。大石は墨絵で鍾馗(しょうき)を描き、間瀬は鉢植えの梅を移植した。1つの花から7~8個の実ができるので、八房の名がある。今の木は3代目。
予備知識を仕入れ、住職に会った。名刺を見て驚いた。間瀬元道さん。聞けば、久太夫の分家筋の子孫だと言う。「母方の父が間瀬で、住職として入った。因縁ですねえ」
寺と浪士の間にゆかりがあったのではなさそうだ。「寺が街道筋の小高い場所にあり、目に止まったのだろう」。住職は推測する。
想像は膨らんでいく。「墨絵と梅の奉納があった時、討ち入りの腹を決めていることに住職は気づいただろう」「梅は主君の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)からもらい受けたものかも知れない」。歴史の裏の物語として、そう思いたくもなる。
由緒ある梅は、接ぎ木で代をつないでいる。4代目も「植木屋さんの畑で育てている」と教えられた。
実は小指の先ほどの大きさで、重なり合うようにしてできる。「みりんを使った梅干にし、家族が1年間で食べる」。300年を経て、久太夫が植えた梅の実を、間瀬住職の家族が食している。何とも、不思議な結びつきだ。(梶川伸)
◇月照寺◇
兵庫県明石市人丸町1-29。078-911-4947。山陽電鉄人丸前駅から徒歩10分。境内自由。空海が楊柳寺を創建したのが始まりとされる。仁和3(887)年、覚証和尚が大和から、柿本人麻呂の念持仏の船乗十一面観音を移し、寺号を月照寺と改めた。東隣りは柿本神社。
=2005年3月15日の毎日新聞(状況が変わっている可能性もあるので、ご了承ください)
更新日時 2016/02/14