豊中運動場100年(45) 社会人野球の聖地に/浴室、常設ロッカー備え
第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)が開かれた1915(大正4)年から数年間は豊中運動場が最も輝いた時期だった。全国大会のほか国際大会の舞台として全国から注目を集める一方で、京阪神の学生野球や社会人野球の会場として地元のファンには身近なグラウンドだった。
豊中運動場を使うときにはどんな手続きが必要だったのか。箕面有馬電気軌道のPR誌「山容水態」の記述からその一端がわかる。。
「豊中運動場に戦わんとするものは、予め箕面電車経営係へ一報せばラインそのた運動場の手入れ、湯茶の用意をなし事務所を開放してその休息所に当てるであろう」
事務所棟には浴室を設けたほか、社会人チームのために道具類を預かるロッカーも備え付けた。「一日の秋晴れの日の下に野球に奮戦して、汗を浴室に流し、夕月を仰いでバットを肩に帰路につく愉快は他に求めて得難き運動の妙境である」と記している。
野球人気が高まるにつれて社会人チームの数は爆発的に増加した。豊中運動場を本拠地にするチームは30以上もあり、日曜ともなると社会人の試合が5~6試合行われた。
全国中等学校大会の興奮の余韻が冷め切らない9月24日。美津濃商店主催の第9回大阪実業団野球大会が開幕した。関西の社会人野球のトップレベルの大会としてすっかり定着、どのチームもこの大会への出場を目標に練習を重ねていた。
10チームが参加。前回の第8回大会で優勝した百三十銀行と、優勝候補といわれた津田商店が順当に勝利を重ね、10月3日の決勝へ。日曜の好カードに豊中運動場は超満員となった。
試合は前半に百三十銀行が4点を挙げれば、津田商店が9回に追いつくという息詰まる展開。9回裏に百三十銀行が敵失に乗じてサヨナラ勝ちする劇的な幕切れとなる。百三十銀行は大会連覇を遂げた。(松本泉)2014.06.02
【第9回大阪実業団野球大会結果】
▽9月24日
津田商店 13―3 汽車会社
阪神電車 7―5 ヒーリング商会
百三十銀行 12―5 浪速銀行
鈴木商店 13―10 近江銀行
台湾銀行 9―4 大崎組
▽9月26日
百三十銀行 9―3 台湾銀行
津田商店 15―14 阪神電車
▽10月3日
百三十銀行 2―1 鈴木商店
津田商店 13―7 ヒーリング商会
▽決勝
津田商店 000000211=4
百三十銀行 021100001=5
更新日時 2015/06/02