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豊中運動場100年(44) れんが壁、観覧席の一部/公開の平面図から判明

豊中運動場跡に現存する赤いれんが壁。開場から半年後に完成した観覧席の土留めとしてつくられたことがわかった

 豊中運動場は1913(大正2)年から9年間しか存在しなかったことから、記録や資料がほとんど残っていない。当時の新聞や回想録などから断片的な情報をつなぎ合わせるしかなかった。ところが最近、阪急文化財団の池田文庫に当時をうかがい知ることができる資料が何点か保管されていることがわかった。
 縮尺300分の1の「豊中運動場平面図」(縦69センチ、横87センチ)もその1つ。今まで公開されることなく倉庫で眠っていたようだ。
 平面図には土盛りでつくったとされる観覧席の寸法が断面図とともに明記されている。また野球のダイヤモンドや陸上競技のトラック、事務所とみられる建物や植栽も書き込まれており、当時の写真と合わせてみると豊中運動場の全容がほぼ分かる。
 観覧席は高さ90センチのれんが壁を土留めにしてグラウンドに向けて約7メートルの緩い傾斜の土盛りで固めた。またれんが壁の上には高さ50センチぐらいの手すりを設けた。赤いれんが壁は豊中運動場の象徴とされているが、今まで考えられていたように外壁ではなく観覧席の一部だった可能性が高い。運動場と道路の境には植栽が施されていたようだ。
 観覧席をつくるための改修工事は開場から半年後に行われており、平面図は工事に合わせて作成されたらしい。赤れんが壁はそのときに完成したとみられ、開場時の豊中運動場は周囲に塀も壁もない“裸”状態だったかもしれない。
 観覧席の前やれんが壁の周囲には排水溝がつくられていることもわかる。水はけを良くする工夫が随所に施されていた。
 陸上競技のトラックは正方形で1周400メートル、トラックの真ん中に野球のダイヤモンドを設けた。ただ、100メートル走に限って正方形のトラックの対角線を切るように走路をつくったこともあるようだ。
 このほか、野球の本塁の真後ろに当たる南東角には女性専用の屋根付きの木造観覧席を設営。大会に応じて仮設の木造の観覧席がつくられていた。
     ◇
 豊中運動場の平面図は、池田市建石町の小林一三記念館で開催中の「小林一三と野球」展(9月27日まで)で公開している。同展では平面図のほかに、数少ない資料や記録とともにパネル展示で豊中運動場を振り返ることができる。原則として毎週月曜は休館。入場料は高校生以上の一般が300円。(松本泉)2015.05.19

■写真説明 豊中運動場跡に現存する赤いれんが壁。開場から半年後に完成した観覧席の土留めとしてつくられたことがわかった











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更新日時 2015/05/19


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