豊中運動場100年(39)中等学校野球大会/鹿田投手の力投及ばず/和歌山中、九回に大逆転
全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)の第1回大会が豊中運動場で開かれた1915年当時、1試合にかかる時間は1時間半程度だった。選手交代がほとんどなかったのも理由の1つだった。
第1回大会で選手交代のあった試合は、全9試合のうち広島中―鳥取中の1試合のみ。他の8試合は両校とも先発メンバーの9人で最後まで戦っている。選手交代のあった試合も負傷した捕手の交代で、戦術的に選手が交代する場面はなかった。先発投手はどんなに打ち込まれてもすべて最後まで投げ切っている。
この大会のベンチ入り選手は11人。現在の18人と比べるとはるかに少ない人数だった。控えの選手を組み入れた試合展開が考えにくかったのかもしれないが、点の取り合いになるような試合でも淡々と進行していったようだ。
大会3日目となる8月20日。
第1試合は2回戦の最後の試合となる和歌山中―鳥取中となった。鳥取中は大会開幕試合で広島中に14―7で、和歌山中は久留米商に15―2で、ともに大差の勝利を収めている。勢いに乗る両校が準決勝進出をかけて対戦した。
試合は終盤に劇的な展開となる。
鳥取中の鹿田一郎投手は8回まで和歌山中打線を無安打に抑える好投を見せた。しかし打線がなかなか援護してくれない。1回裏の無死1、2塁の好機を逃したほか、2回と5回にも走者を出しながら無得点。和歌山中は3塁手と遊撃手が計6失策を記録するなど守備が乱れたが、何とかしのいでいた。
鳥取中は8回裏、敵失でようやく1点を挙げる。それまでの鹿田投手の出来をみればこのまま逃げ切るかに見えた。しかし和歌山中は9回表に猛反撃に転じた。
敵失で無死1、3塁とした後、奥山弥太郎選手がこの日のチーム初安打を放ち同点。疲れが見える鹿田投手と動揺する守備陣にバント攻撃を仕掛けるなどして失策を誘い、この回に一挙に7点を挙げた。和歌山中は最後の最後に地力を見せつけての勝利だった。
鹿田投手は野球部史の中でこのように述懐している。「何しろ和中は場所に慣れていて応援団の助勢があったが、我々は場所にも慣れず動揺しがちでした。和中の打者があまりに弱いため球を浮かしていこうと思い途中で作戦を変えたのが失敗の原因だったと思います。固守していれば1点差のまま勝っていたのに実に残念なことでした。我々のようなチームは大都会のグラウンドに出るについては猶大に奮闘の必要があります」
当時の新聞は「鹿田1人で戦ひ鹿田1人で敗れた」と評した。ほろ苦い思いを残して鳥取中が豊中を去っていった。(松本泉)2015.02.10
▽2回戦(8月20日)
和歌山中
000000007=7
000000010=1
鳥取中
(和)戸田―矢部
(鳥)鹿田―松田
和歌山中 31 1 9 1 4 9 8
打 安 振 四 犠 盗 失
鳥取中 32 2 5 2 1 0 5
更新日時 2015/02/20