このエントリーをはてなブックマークに追加

豊中運動場100年(37)中等学校野球大会 和歌山中、大差で勝利 久留米商、猛攻に屈す 

豊中運動場で繰り広げられた第1回全国中等学校優勝野球大会の熱戦を伝える1コマ

 1915(大正4)年8月の第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)で、開幕前に問題になったのが野球規則だった。米国の野球規則を翻訳したものがいくつかあったが、訳し方に違いがあったり解釈が異なったりして完全なものはなかった。主催する大阪朝日新聞社は混乱が生じないようにと「11カ条の試合規則」を制定した。
 審判は最終とす▽試合番組(組み合わせ)は抽選を以って決す▽審判員において不正行為ありと認めたるチームはこれを除外す▽選手は必ずユニホーム着用のうえ試合開始予定時刻の30分前に来場すべし▽ベンチに着席するものは選手11名に限る▽ウイニング球はこれを勝者に与ふ――などと定めた。
 また審判員の確保に苦労したようだ。第1回大会は球審と塁審2人の3人審判制で行っている。大正時代に入って野球は急速に人気を集めていたとはいえ、野球人口はまだまだ少なかった。ましてや審判員ができるほど知識をもった野球人は限られていた。旧制高校や旧制専門学校の野球部員が審判員を務めるケースも多く、知識不足が原因でジャッジを巡るトラブルは絶えなかった。
 大会2日目の8月19日。第1試合は和歌山中と久留米商業が対戦した。
 和歌山中は、豊中運動場で開かれた関西大会で市岡中を降して出場権を得た。
 一方の久留米商は、福岡の7校と長崎の1校が参加した九州大会で優勝を飾り出場を決めた。九州大会は会期がわずか2日間。1日目に1回戦4試合、2日目に準決勝と決勝を行うというもともと厳しい日程が組まれていた。ところが1日目の第4試合豊国中―福岡師範は日没順延。その結果、2日目は順延の試合と準決勝、決勝の4試合を行うことになってしまった。福岡師範を8―2で破った豊国中は準決勝で中学修猷館にも勝ち決勝に進出する。しかし豊国中の選手はこの日既に2試合を戦っており疲労はピークに達していた。3試合目を戦う余力はなく決勝を棄権したため久留米商の優勝となった。1日で3連戦という日程は現在ではとても考えられないが、準備期間の短さがこんなところにも影響した。
 和歌山中―久留米商の試合は初回から動いた。1回表、和歌山中は矢部和夫、中筋武久両選手の適時打で3点を先制。その裏、久留米商は佐藤清助選手の適時打で1点を返す。6回表には和歌山中が2死満塁の好機から2点を追加すれば、久留米商もその裏、城崎才次郎選手の中前適時打で1点を加え、緊迫の展開になるかに見えた。
 しかし8回表、和歌山中は一気に9点を奪い、一方的な試合になってしまう。そのまま和歌山中が大差で勝利を収めた。久留米商の城崎投手は13三振を奪いながらも12死四球を与えてしまう乱調で、和歌山中のたたみ掛ける攻勢を止めることができなかった。(松本泉)
 ▽1回戦(8月19日)
和歌山中
  300002091=15
  100001000= 2
久留米商
 (和)戸田―矢部(久)城崎―田中

和歌山中 42 10 13 12 3 8  7
      打  安  振  四 犠 盗  失
久留米商 36  5  6  0 0 0 10


全国中等学校優勝野球大会 和歌山中 久留米商

更新日時 2015/01/15


関連地図情報

関連リンク