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豊中運動場100年(36)中等学校野球大会 早実、抜け目なく競り勝つ 神戸二中、食い下がるも涙  

第1回大会で使用されたグラブとミット=甲子園歴史館展示

 1915(大正4)年8月18日に開幕した全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)。第1回大会で試みられたさまざまなものがその後の高校野球に受け継がれていった。「高校野球ならでは」といわれるものの多くは豊中運動場で生み出された。
 試合前後に本塁をはさんで両校が一礼するのもその1つ。今では高校野球のみならずアマチュア野球で普通に行われている。この第1回大会が始まりだった。
 「学生野球は心身の鍛錬が目的で、試合も礼に始まり礼で終わる」とされ、細かく規定した。本塁の左右に両校の選手が整列。本塁上に立った審判長が一同に礼をさせたあと、審判員を紹介する。続いて審判長が審判員に両校選手を1人1人紹介、審判員が選手に注意事項を伝えて試合開始となった。時間をかけた厳粛な場面だったようだ。
 初日の第3試合となる早稲田実業―神戸二中も、緊張した選手たちが深々と一礼して試合が始まった。
 優勝候補の筆頭に上げられていた早稲田実業は、全国中等学校優勝野球大会は、3月に開かれた東京府下大会で優勝したことから出場を決めた。関東代表は東京の予選結果だけで決めたことになる。加えて前年度の3月に開催した大会では卒業生がレギュラーメンバーに入っていたこともあり、8月開催の大会の代表校とするには少し無理もあった。ただ開幕までの準備期間がわずか1カ月半だったことを考えれば致し方なかったのだろう。
 一方の神戸二中は7校が参加した兵庫大会で優勝を飾り出場権を得た。関西学院との決勝では2点リードされた9回裏、3点をもぎ取る劇的なサヨナラ勝ちで勝利を収めている。この大会で単独一県の予選になったのは兵庫大会だけだった。本大会開催の地元優遇策だったとの見方もあるが、それ以上に当時の兵庫の中等学校野球のレベルが高かったようだ。
 緊迫した試合は5回に動いた。五回表、早実は2死2、3塁から3番打者で投手の臼井林太郎選手が三遊間を抜く適時打で先制する。神戸二中はその裏、無死2、3塁と絶好のチャンスをつかんだものの後続が連続三振と遊飛に倒れた。続く6回表、勢いに乗る早実は平田正義、宮川勉両選手の連続安打で1点を追加する。早実は臼井投手が好投してそのまま逃げ切った。
 安打数で見ると早実5安打、神戸二中4安打と差がなかったものの、早実は6盗塁を記録するなど抜け目のない攻撃で競り勝った。
 ただ神戸二中の選手はこの日、激しい腹痛に悩まされていたとの証言が残っている。前日に食べた魚が少し傷んでいたようで、守備から戻るたびに手洗いに駆け込む選手がいたという。真夏の大会の健康管理、安全対策についてはまだまだ課題を残していたようだ。
 アクシデントはあったものの豊中運動場での初日の3試合は無事に終わった。(松本泉)
▽2回戦(8月18日)
早稲田実
  000011000=2
  000000000=0
神戸二中
 (早)臼井―岡田
 (神)今村―睦好

早稲田実 30 5 6 5 3 6 2
      打 安 振 四 犠 盗 失
神戸二中 31 4 4 1 0 0 3
=2014.12.26

全国中等学校優勝野球大会 早稲田実業 神戸二中

更新日時 2014/12/26


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