このエントリーをはてなブックマークに追加

豊中運動場100年(35)京都二中が好スタート 高松中を零封で制す  

第1回大会で使用された試合球=甲子園歴史館展示

 高校野球の試合開始時と終了時に響き渡るサイレン。プロ野球や社会人野球で鳴ることはない。このサイレンは1915(大正4)年の第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)から使っているとの説がある。場内放送設備がなかった当時、試合の進行を周知するにはサイレンを鳴らすしかなかったようだ。今や高校野球にすっかり定着したサイレンは豊中運動場が起源だったのだろうか。
 大会初日(8月18日)の第2試合は京都二中と高松中の対戦となる。
 京都二中は京都と滋賀の計11校が参加した京津大会を勝ち抜いて出場を決めた。当時の京都は京都二中のほか、京都一中、同志社、京都一商などの強豪校が全国レベルの実力で競い合っていた。京津大会の決勝では京都二中が同志社を5―0で制した。
 一方の高松中は波乱の四国大会で優勝し出場権を得た。香川と徳島の計8校で争った四国大会は高松中と香川商の決勝になる。猛烈な打撃戦は延長戦に突入。ところが死球の判定をめぐって大混乱となり、応援団がグラウンドになだれ込む騒ぎになった。記録では「香川商投手疲労のため」とされているが、憤慨した香川商が試合放棄したため高松中の勝利となったらしい。
 第2試合は午後0時半に始まった。
 試合は終始京都二中のペースで進んだ。13安打を放つ一方で、足を使った攻撃も絡め11盗塁を記録。投げては主戦・藤田元投手が15奪三振の好投を見せて15―0の完封勝利を収めた。
 高松中は大西禎夫投手が14三振を奪ったものの、打線が3安打にとどまったうえ失策も目立ち、最後まで本来の力を出すことができなかった。
 初日から熱戦が続く豊中運動場。しかし野球場として考えると驚くようなことばかりだった。
 ほぼ正方形のグラウンドを野球仕様にするため、外野のラインは等間隔に杭を打ち縄を張って急造した。夏になると雑草が急に伸びてくるため草引きが間に合わず、外野手が草をかきわけて打球を追うこともあったようだ。
 観客席は木造の極めて簡単なものだった。真夏の日差しはよしず張りの屋根とテントで避けた。応援に夢中になった観客がファールラインの手前まであふれ出すこともしばしば。ファールゾーンがあいまいだったこともあって、打球を追いかける選手が観客の中に飛び込んでしまうこともあった。
 手作り感のにじみ出る大会だった。(松本泉)2014.12.02

▽2回戦(8月18日)
京都二中
  002101227=15
  000000000=0
高松中
 (京)藤田―山田
 (高)大西―加納

京都二中 43 13 14 5 2 11  1
      打  安  振 四 犠  盗  失
高松中  29  3 15 2 0  0 10

京都二中 全国中等学校優勝野球大会 京都一中 同志社 京都一商

更新日時 2014/12/02


関連地図情報

関連リンク