もういちど男と女(22) 家庭
男は女性を使い捨ての道具のように考えていた。40代になり、5回目の結婚で落ち着いた。やっと「家庭」を見つけ、十数年の時が流れた。
漁師町の裕福な商売人の長男だった。父は仕事一筋で、「信用」が口癖だった。母は雇っている若い衆の世話に追われた。幼かった男には、親はいないも同然だった。
友だちが朝、「こんなん、食べんかもしれんけど」と言って、小魚を持ってくることがあった。男は友だちがうらやましかった。朝から家族揃って魚を食べているのだろうと想像した。男の家は忙しく、朝食は漬け物と茶づけに決まっていた。それも、1人きりで食べることが多かった。
母は何でも父にうかがいを立てた。「自転車がほしい」と、ねだったことがある。「お父ちゃんが『いかん』と言ってる」が答えだった。「お母ちゃんに相談してるのに、何でお父ちゃんなんか」。心の中で反発した。
母とはけんかが絶えなかった。母の部屋の仏壇を壊したこがある。「あんたは人間じゃない」となじられ、母を指差して、「これの子どもだからな」と、悪態をついた。
20歳で結婚をした。それから次々と女性の愛情を求めた。別れる時は、すべて妻に与え、自分には服と靴だけを残した。そのせいか、別れた妻とも関係が切れることはなかった。父の葬儀には、3人の元妻が参列した。3人が「姉さんからどうぞ」「いえ、おたくから」と譲り合ってた。
4回目の結婚は、夫婦の生活スタイルが違い、ギクシャクすることが多かった。そんな時に、会社の同僚だった女との仲が深まった。女は2人の子どもを抱えて離婚していていた。
女の家に呼ばれ、昼ご飯を食べた。子どもも一緒だった。そこに男は、家庭というものを見た。自らの子ども時代と比べた。女の家には、温もりがあると感じた。
女のしつけは厳しかったが、子どもが母親を尊敬していた。近くに祖父の家があり、子どもは登校途中に寄って、玄関を掃除するのだという。
「年をとったら、一緒になりたいな」。男は言った。気持ちが動いたら早かった。年をとるのを待たずに妻と離婚し、半年後には新しい結婚生活がスタートした。
男は変わった。母の晩年の1年間は、男がローテーションを組み、兄弟夫婦が交代で病院に詰めた。病室に笑いが絶えなかった。最期は、男が手を握って送った。
結局は家庭的な人を探していたのだと、男は思っている。「お袋」というものの後姿を、探し求めたのかもしれない。
ただ、女には可愛げがない、と感じる時がある。「マッサージしてくれ」と頼む。「自分のことは自分でしなさい」と言う。甘えさせてくれないのが、不満ではある。(梶川伸)=2006年9月16にの毎日新聞に掲載されたものを再掲載2014.09.30
更新日時 2014/09/30