もういちど男と女(04) フィニッシュ
カウンターだけの小さな居酒屋である。総菜を盛った大皿が、所狭しと並ぶ。男はいつも1人で端のいすに座り、ビールを飲んだ。
店は女1人で切りもりしていた。きっぷがよくて、どんぶり勘定も店の魅力だ。男は居心地のよさを感じて、毎日のように通った。
女が足を痛めたことがあった。男はカウンターの中に入って手伝った。女は「ワンデーマスター」と呼んだ。それが常態化した。自宅で設計の仕事をしていたので、時間のやりくりができた。
女は料理を教えた。しくじると叱った。夫婦漫才を見ているおかしさを、客は感じた。男は店に少し、経営感覚を取り入れた。頼りにされていることを感じ、いつの間にか本当のママとマスターになった。
店を離れても、一緒の時を過ごすようになった。男は店の外では「ママ」とは呼ばず、「あんた」と言った。仲が深まるにつれ、男は女の意思の強さを知った。亡くなった妻もそうで、重ね合わせることもある。
妻は14歳年上で、アメリカ国籍をとっていた。結婚する前の衝撃的な出来事を聞されたことがある。アメリカの男性2人から愛された。男性2人は銃を持ち、決闘をした。妻は「私はこの人を守ります」と言って、1人の前に立ちはだかった。相手はかまわず、引き金を引いた。弾は妻の右足を撃ち抜いた。そんな情熱的な女性だった。
日本で結婚し、神戸のアメリカ領事館に届けた。結婚暦があり年上、しかもアメリカ国籍。男の親族からの反対を押し切ってのことだった。
男は職を転々とした。妻が商社に勤めて生活を支えた。正月には、結婚に反対した男の実家に、必ず贈り物をした。「年増の深情け」と、男は冗談めかして懐かしむ。
一度、男は浮気をした。それがばれて、殺されるかと思った。その時に聞いたのが、決闘の話だった。「私は命がけで愛すのよ」
妻は64歳で急死した。入院した日、男が歯ブラシなどを買って病院に行くと、すでに息を引き取っていた。何も用意をしていなかった死に、悔いが残った。「フィニッシュができていない」
男は店でマスターをしながら思う。「今度こそ、きちんとしたフィニッシュをせねば」
女はまた年上である。どちらが先に命が尽きるかは分からないが、葬儀も含めて、人生の最終ステージのあり方を2人で話し合っておくつもりだ。仲のよい時間を積み重ね、死ぬ3分前には気持ちが通じ合っていたい、というのが望みだ。
5尾のおいしいアジの干物が店にあった。男は4尾を客に出した。「もう1尾も出せばいいやん」と、女の小言が聞こえた。男は言った。「あんたが食べればいいやんか」(梶川伸)2006年5月6日の毎日新聞夕刊に掲載されたものを再掲載2014.06.04
更新日時 2014/06/04