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豊中運動場100年(21) 宝塚歌劇と人気を二分 

1914年4月に始まった宝塚歌劇公演は、豊中運動場での野球試合とともに大人気を集めた

 大正時代に入り、都市ではサラリーマン世帯が急速に増えた。そしてサラリーマンの人気を集めたのが「レジャー」だった。箕面有馬電気軌道が沿線で開発したレジャー施設は、レジャー人気を大いに盛り上げていった。
 1910年に開園した箕面動物園、1911年に営業を始めた宝塚新温泉、そして1913年に開場した豊中運動場は、大阪市内のサラリーマンにとって憧れの三大レジャー地となった。
 宝塚新温泉ではアトラクションとして1913年7月に宝塚唱歌隊を結成。翌14年4月には室内プールを改装した劇場で宝塚少女歌劇の公演を始める。歌と踊りの華やかな舞台は爆発的な人気を呼んだ。
 宝塚歌劇の第1回公演が始まった1カ月後。豊中運動場は開場1周年を迎えた。
 日米野球戦や日本オリンピック大会の開催を契機に「日本1の総合グラウンド」としてすっかり有名になっており、「豊中運動場で運動会をやった」「豊中に野球を見に行った」というのが自慢になったようだ。宝塚歌劇と人気を二分し始めていた。
 ただ1周年といっても大掛かりな記念行事はなかった。5月10日に開いた東京の天狗倶楽部(てんぐくらぶ)と錦華殿倶楽部の野球試合が記念行事に当たったかもしれない。
 天狗倶楽部は東京の作家、画家、新聞記者らでつくるクラブチーム。錦華殿倶楽部は西本願寺・大谷光瑞法主の弟光明が関西の愛好家を集めてつくった。
 当時は旧制中学、旧制高校など学生野球が中心だった。一方で、野球の愛好家が各地でクラブチームをつくった。野球部OBや野球好きの作家、画家などが中心で、関西では錦華殿倶楽部のほか、同志社OBでつくるアポロ倶楽部、市岡中OBの市岡倶楽部、神戸一中OBの白楊倶楽部、神戸二中OBの菊水倶楽部などが人気を集めていた。
 ホームグラウンドを持たないクラブチームにとって豊中運動場はまたとない試合会場だった。加えて、クラブチームの試合は「気楽に野球を楽しんで見ることができる」と新しい野球ファンの掘り起こしにも一役買った。
 天狗倶楽部と錦華殿倶楽部の試合は、東西の2回に計4点を挙げて先行するも、4回に同点に追いつかれ、五回に5点をとられて一気に突き放される。結局、天狗倶楽部が15―7の大差で快勝した。天狗倶楽部は引き続き大阪実業団選抜チームと対戦したが、疲れが残っていたのか切れ味に欠け、選抜チームが11―9で勝利した。野球通をうならせる好プレーや珍プレーも飛び出す試合に野球ファンは大きな歓声を送った。(松本泉)

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更新日時 2014/04/08


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