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能勢街道をゆく①<br /> 中津を出発、新三国橋を渡って豊中市へ

 旧能勢街道は大坂(現大阪)から能勢、池田を通り、京都・亀岡に抜ける。江戸時代は木材や農産物を運ぶ道だった。どのように様変わりしているのか、能勢街道を歩いてみた。
 大阪市北区中津で、能勢街道は中国街道(西国街道)から分かれる。その分岐点に、「元萩之橋」の石碑が設置されていると資料にある。大淀警察署で聞くと、警察官が資料の写真に写っている地名表示板の小さな文字を「中津1の11」と解読し、場所を教えてもらった。署から50メートルの場所だった。
 さあ出発。北へ100メートルほど行くと、JRの高架橋の下をくぐる。「橋梁名 能勢街道架道橋」とあり、うれしくなる。「キロ程」の項目には「555K500M」と、数字が美しく並び、またうれしくなる。JR西に聞くと、この数字は東京駅からの距離だという。
十三大橋を渡る。昔は渡しがあり、それを記した石碑が橋の北詰めにあるはずだ。上半身裸で自転車に乗っていた青年に資料写真を見せて聞いた。写真には、きんつばで有名な「喜八洲」の看板が小さく写っていた。青年は碑と看板の角度を頼りに探してくれ、「このあたりだけどなあ」。しかし、工事用のシートが張られているだけ。見つからないはずだ。碑はシートの裏に隠れていた。
 阪急十三駅の東、神津神社の境内に、宝暦年間(1751~64年)の十三宿場の図のコピーが掲示してある。毛利藩の地図師、有馬喜惣太が描いたという。道標もあり、「西十三渡 東本庄渡」などの文字などが刻まれている。
 神社を東へ行くと、能勢街道の石碑と地図があり、それをカメラに収めて北上した。淀川区木川東4-3で阪急電車の阪急能勢街道踏切を渡る。旧街道の名前が、現代の交通機関に生きている。
 新幹線の高架をくぐり、今回は新三国橋を渡り豊中市に入った。途中で6人に道を尋ねた。みなさん親切に教えてくれた。ありがとうございました。(梶川伸)
=地域密着新聞「ナチゴト豊中・池田」第2号(2010年8月2日)

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更新日時 2010/07/30


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