三国街道をゆく①豊中市豊南町東~服部緑地
三国街道は豊中市と吹田市の境界を流れる高川の堤に沿って北上する。江戸時代は、現在の豊中市上新田、寺内などのタケノコをはじめとする農作物を大坂に運んだ。堤防道は松並木だったという。
出発点は高川が神崎川に流れ込む豊中市豊南町東3とした。ここに、目いぼの渡し跡の石碑が立っている。右目の上に大きないぼのある船頭がいたことからこの名がついたことは、前に連載した「能勢街道をゆく」の中でも紹介した。神崎川の河川敷には、水位を計る細長い板が立っていて、「淀右水」と書いてある。堤防までの高さは約7メートルだった。
高川にかかる豊吹小橋の西側の堤防上を、北に向かって歩く。川の向こうは吹田市、右岸の豊中側の堤防を進む。豊能自然歩道の標識が立っていた。「神崎川0.2km 服部緑地3.0km」と書いてある。この標識は所々に立っていた。
すぐ前は豊南町3丁目第1児童遊園と名づけられた小さな公園があった。公園の周りは桜の木が多い。桜のデザインが手すりにあった。
高川にかかる豊吹小橋の西側の堤防の上を、北に向かって歩く。川の向こうは吹田市、右岸の豊中側の堤防を進む。豊能自然歩道の標識が立っている。「神崎川0.2km 服部緑地3.0km」と書いてある。
下高川橋を過ぎると、吹田側の堤防の鉄柵に花の模様が現われる。間隔を置いた縦の鉄柱に赤と緑の色が塗られ、正面から見ると何のことだか分からないのだが、斜め前方や斜め後方に向かって見ると、それが花のデザインとなる。
堤防上の草むらに、石の道標が隠れていた。「大神稜道」と彫ってあるように読める。側面の文字からは、大正5(1916)年に立てられたことがわかる。通りかかかった夫婦に聞いてみた。「2年前に越してきて、前からこの文字の意味が気になっていたのだが」と、同じように首をかしげた。
小芳橋を過ぎる。高川橋の下をくぐる。さらに名神高速の下をくぐるが、そのあたりから、豊中市側の鉄柵にも花の絵が浮かび上がる。
名神の手前の草むらでも、小さな道標を見つけた。仏像のレリーフの下に文字が刻まれ、「みのを」と読めた。
稲荷橋を吹田側に渡り、今度は左岸の堤防を歩く。こちらは車は通れないうえ、木立の中を進むので、散策には良い道だ。ただし、進んで行くと、工事で通行止めとなり、やむを得ず引き返した。
豊中側の堤防に戻る。松が多くなってくる。アーチ状の窓のようなデザインの歩道橋を見ながら進むと、都市緑化公園に通じる道の前を通り、新宮池のほとりを歩く。池のそばに石仏を納めた小さな堂と、小さな社が並んでいた。
服部緑地を通る。江戸時代には、幕府の火薬庫「焔硝蔵(えんしょうぐら)」の火薬が、三国街道を通って大坂へ運ばれたと、資料にあった。うずわ池の横を通って進んでいくと、やがて新御堂筋に出る。ここからしばらく、街道は新御堂筋にまぎれてゆく。 (梶川伸)
更新日時 2011/09/27