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能勢街道をゆく⑰ 辻ケ池公園~建石町

上池田町の小さな呉服神社

 スタート地点、池田市の辻ケ池公園前に、能勢街道の案内板がある。周辺に興味を引くスポットがいくつも書いてあり、寄り道をしながら進むことにした。
 まず訪ねたのは、上池田町2の小さな呉服(くれは)神社。池田駅の西に、中国から織り物を伝えたと日本書紀に出てくる呉織(くれはとり)と穴織(あやはとり)にちなむ呉服神社がある。そこで尋ねると、「御霊(みたま)を移したことはない」そうで、上池田の神社の成り立ちははっきりしない。
 その先には穴織神社もある。横の池にはスイレンが白い花を開いていた。さらに街道をそれて、池田茶臼山古墳(五月丘1)へ。古墳時代前期の典型的な古墳で、全長62メートルの前方後円墳。古墳は公園の中にあり、説明板に公園になった経緯が記されていた。
 1957年に五月山区画整理事業が始まった。古墳が壊される恐れがあり、郷土史家らが保存運動に乗り出した。これが日本住宅公団(現都市再生機構)を動かし、古墳を取り込んだ茶臼山公園として整備された。説明板は「戦後の文化財保存運動の画期的な成果」と結んでいる。
 池田市立歴史民俗資料館(五月山1-10-12)の入り口に「絹延小橋」と彫ってある石柱がある。池田市と川西市を結ぶ絹延橋のそばの水路にあったもので、大正13年に立てられた。石柱は4つあったが、高速道路建設に伴い撤去することになり、両市が2つずつ分けたそうだ。街道に戻ると、上池田薬師堂がある。格子戸ののぞき穴から中を見ると、市重要文化財の薬師如来が安置してある。桜材の一木造りの仏像で、高さ145センチ。中は暗く、左手の薬つぼは見えるが、顔の表情は分からないのが残念だ。堂の前に、石仏や五輪塔がまとめてあった。
 星の宮に立ち寄る。建物が新しい。境内にいた森脇(正式には「力」ではなく「刀」)健二さんに聞いた。阪神大震災で屋根瓦がずれてしまい、建て替えたのだという。その際、2つあった社を1つにし、その代わり防災倉庫を新設した。
 神社には、中国からやってきた呉織らが、夜遅くまで織り物をしていると、たくさんの星が天からおりて来て、照らしてくれたという伝説がある。ここは、がんがら火祭り(8月24日)のスタート地点でもある。京都・愛宕(あたご)神社からお札をもらい、それを種火に見立て、山に「大」の火文字をつくる。森脇さんは早くも祭りの準備作業をしていた。境内にはまきが積まれ、シートがかけてあった。「最近は乾いた木が少ない。火がつかなくて困ったことがあったので、乾かしておく」と、森脇さんは話した。
 法園寺の前を通り、池田城跡公園に登った。密集した満開の白いユリの花を見て、今回の打ち止めにした。(梶川伸)

能勢街道 呉服神社 星の宮 池田茶臼山古墳

更新日時 2011/07/01


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