心にしみる一言(344) 補陀落渡海は日本各地から出ているが、半分がここから
◇一言◇
補陀洛渡海は日本各地から出ているが、半分がここから
◇本文◇
和歌山県那智勝浦町の熊野古道・大門坂を歩いて熊野那智大社に参拝した後、補陀洛山寺(ふだらくさんじ)を参拝した時だった。住職の話を聞く機会があり、上記の言葉が記憶に残っている。
補陀落渡海とは、単身舟に乗って、インドの南にあるとされた補陀落山を目指すことを言う。ここには観世音菩薩が住んでいるとされた。阿弥陀信仰では極楽浄土だが、観音信仰では、補陀落浄土になる。
補陀洛山寺には、渡海のための舟が復元されていた。四方に鳥居が取りつけてある。この寺の住職はその昔、60歳になると、補陀落山に向けて船出したと伝えられ、記録にもある。
本堂で聞いた住職の説明は興味深かった。「この寺からの渡海は26回(異説もあるようだが)。日本の各地から出ているが、半分がここだ」「30日分の食糧を持って乗り込む」「外に出られないように、扉には釘を打ちつけた」
四国遍路をしていると、高知県・足摺岬でも補陀落渡海があったと知る。補陀落浄土の周辺を辺地(へち)と言う。紀伊半島や四国の太平洋側は、日本での辺地でもあった。
辺地が辺路(へち)に変化した。それが熊野古道の中辺路や大辺李路、小辺路として残る。辺路がやがて遍路になった。そんな言葉の変化と唱える説がある。大門坂は熊野古道・大辺路に一部にあたる。(梶川伸)2021.11.02
更新日時 2021/11/02