心にしみる一言(317) スマートフォンのGPS機能で、あまり道に迷うことはない
◇一言◇
スマートフォンのGPS機能で、あまり道に迷うことはない
◇本文◇
こんなことを書くこと自体が時代遅れなのだろう。取り上げた言葉が、今は当たり前のことなのだ。遍路という昔から引き継がれているものでさえ、そうなのだと思い知った。
2014年は空海が四国88カ所霊場を開創して1200年とされた年だった。そのため、四国を回る参拝者も増えた。
高知県宿毛市、39番・延光寺に参拝した時だった。境内にある樹齢500年のイブキを見ていると、男性の歩き遍路に次の札所、愛媛県愛南町の40番・観自在寺までの距離を聞かれた。約30キロと伝え、それがきっかけでしばらく立ち話をした。
40歳で会社をやめ、転職までの間に歩いているという。「ただ歩いているだけ。一歩一歩。考えながら歩いていると、標識を見逃してしまうことがある」と、穏やかな口調だった。標識を見逃しても、困らないようで、その理由が取り上げた言葉だった。
スマートフォンが普及するまで、松山市の宮崎建樹さんが自ら歩いて作った地図が、歩き遍路の必需品だった。遍路道には宮崎さんが取り付けた標識があり、地図と標識がなければ、歩き遍路は不可能だった。
1番から88番に向けて回るのが順打ちだが、88番からスタートするを逆打ちという。これは順打ち以上に道に迷う。
ある時、「1000万円出すので、逆打ち用の標識をつけてほしい」という申し出があった。「逆打ちの人は、道に迷うのは仕方がないという覚悟を持って回っているのだから」と言って、標識をつけるのを断った。そんな話を宮崎さんから聞いたことがある。これも、昔話なのかもしれない。(梶川伸)2021.06.29
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更新日時 2021/06/29