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豊中運動場100年(99) 大会で波乱続いた末期/市岡中一強で歴史に幕

豊中運動場跡近くに整備された高校野球発祥の地記念公園には、夏の大会の歴代優勝・準優勝校名を記した「ウォール」が設けられている=豊中市玉井町で

今回は豊中運動場の末期、1920(大正9)~21年の中等学校野球を取り上げる。
大阪高等商業学校主催、大阪朝日新聞社後援の「大阪野球大会」は、全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)の大阪代表を決める大会として、1916年の第1回大会から21年の第6回大会まで豊中運動場で開催された。
20年8月1日開幕の第5回大会には、市岡中、桃山中、大阪商業、西野田職工学校、天王寺中、今宮職工学校、八尾中、堺中、北野中、大阪貿易学校、明星商の11校が参加した。
5日間の予定が10日間に延びただけでなく、波乱続きの大会となる。
 前回大会で導入された敗者復活戦がこの大会でも採用され、1回戦敗退の今宮職工と桃山中の対戦となった。しかし、桃山中が当日になって棄権したため、今宮職工が試合せずに復活する。不評を買う敗者復活戦は翌年に廃止された。
この他、北野中―大阪貿易は、大阪貿易の資格違反の選手登録が判明し没収試合になった。前年は敗者復活戦から奇跡の優勝を決めてこの大会でも優勝候補だった市岡中が2回戦で姿を消した。
決勝は第2回大会と同じ北野中―明星商。3年前は明星商が勝っており北野中にとっては雪辱戦になった。
北野中が2回表、四球押し出しで先制すると、明星商は3回裏に4番・梅田選手の中越適時打で追いつく。さらに7回裏には北野中の4失策で3点を奪った。明星商が5―1で快勝し、3年ぶり2回目の大阪代表を決めた。
     ◇
 翌21年7月30日開幕の第6回大会には、市岡中、天王寺商業、北野中、堺中、天王寺師範、今宮職工学校、明星商、今宮中、岸和田中、桃山中、天王寺中の11校が参加した。
この大会も波乱の幕開けとなった。
開幕戦の天王寺師範―今宮職工は、8―8で延長に入る。10回表、天王寺師範は2点を挙げたが、同回裏に今宮職工が審判に猛抗議したため試合が中断。結局、再開できず没収試合で天王寺師範が勝った。また北野中―堺中は、堺中の棄権で北野中が不戦勝する。
2日目からは順調に試合は進み、市岡中の強さが際立つ大会になった。1回戦・天王寺商に12点差、2回戦・明星商に6点差、準決勝・今宮中に16点差をつけて圧勝する。
桃山中との決勝では17点を挙げて大勝し、2年ぶり4回目の大阪代表となった。
豊中運動場で最後の大阪野球大会は「市岡中時代」を象徴する大会となった。(松本泉)

◇第5回大阪野球大会
【1回戦】(8月1~3日)
天王寺中 15―3 今宮職工
大阪商  10―4 西野田職工
市岡中  16―2 桃山中
八尾中  10―9 堺中
北野中(没収試合)大阪貿易
【敗者復活戦】(2日)
今宮職工―桃山中
(桃山中棄権)
【2回戦】(5、7日)
天王寺中 13―6 八尾中
明星商   5―1 市岡中
今宮職工  8―5 大阪商
北野中   7―0 堺中
【準決勝】(8日)
北野中  6―1 天王寺中
明星商 15―2 今宮職工
【決勝】(10日)
北野中
  010000000=1
  00100031×=5
明星商
(北)村田―豊田(明)山口―梅田

◇第6回大阪野球大会
【1回戦】(7月30日)
天王寺師範(没収試合)今宮職工
市岡中 13―1 天王寺商
北野中―堺中(堺中棄権)
【2回戦】(31日、8月1日)
桃山中  18―2 天王寺師範
今宮中  10―3 岸和田中
市岡中   9―3 明星商
天王寺中 21―5 北野中
【準決勝】(4日)
桃山中  8―4 天王寺中
市岡中 17―1 今宮中
【決勝】(5日)
市岡中
  340210070=17
  102000100=4
桃山中
(市)近藤―南(桃)中川―中村
=2917.12.21

更新日時 2017/12/21


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