豊中運動場100年(92) 日本フートボール サッカー1、2回戦 応援団が熱戦盛り上げ
1919(大正8)年1月18日に豊中運動場で開幕した第2回日本フートボール優勝大会=現在の全国高校ラグビーフットボール大会、全国高校サッカー選手権大会=は、十文字に設置されたコートで、ラ式蹴球(ラグビー)とア式蹴球(サッカー)の試合を交互に行った。
5分間のハーフタイムに選手たちが口にしたのはミカン。ベンチ近くの籠に山積みにされていた。喉を潤すためにミカンにかぶりつく選手の姿は、豊中運動場の冬の名物シーンになった。
今回はサッカーの1、2回戦を見ていこう。
初日の1月18日は4試合が行われた。
第1試合・明星商業―関西学院は、明星の厳しい攻撃を関西学院が徹底的に阻止。0―0でコーナーキック、ゴールキックがともに同数だったため、規定により10分間の延長戦に入った。延長も終了の直前、明星・木下選手のシュートが決まり、明星が劇的な勝利を飾った。
大阪の雄・明星商業の応援は、その派手さで群を抜いていた。西側スタンドを全て占拠した500人の大応援団は、「背水の陣」「乾坤一擲(けんこんいってき)」と大書された大応援旗を掲げ、ほら貝を吹き、大太鼓を乱打する。「今日は明星が出るさかい、応援見に豊中へ行こか」という人も少ながらずいたという。
第2試合・奈良師範―神戸高商は、神戸高商の選手に負傷者が続出、棄権を申し出たため奈良師範の不戦勝となった。
第3試合は神戸一中―堺中の対戦。両校は前年も対戦して神戸一中が圧勝しており、堺中は雪辱を期していた。前半は堺中GK・貴多野選手の好守もあってともに無得点。しかし後半は神戸一中の白洲選手が絶妙のシュートで2ゴールを決めて、2―0で神戸一中が勝利を飾った。
第4試合は、前年優勝の御影師範と京都師範が対戦した。実力伯仲の両校が一進一退を繰り返し、息詰まる試合になった。後半に入って御影師範の福本選手が決めた2ゴールが勝敗を決した。試合開始時には既に夕闇が広がっていたが、終了時の午後6時前にはボールさえ見えないほどの闇に包まれた。選手には少し気の毒なコンディションだった。
翌19日は朝から土砂降りの最悪の天候になった。大会は26日に順延となったが、姫路師範と岸和田中は「グラウンドが乾き次第決行してほしい」と申し出たため、状況を見て1試合だけ行うことになった。
雨の合間を見て始まった姫路師範―岸和田中だがグラウンドは水浸しだった。泥水を掛け合うような試合で、両校選手の白いユニホームはたちまち茶色に染まった。試合は前半に2点、後半に1点を奪取した姫路師範が勝利を収めた。
順延になった26日は、2回戦最後の試合となる奈良師範―神戸一中で始まった。
試合は終始神戸一中優勢で進んだものの、決め手に欠けた。互いに得点に結びつかず、最後は規定によりコーナーキック数で神戸一中を上回った奈良師範の勝ちとなった。
御影師範、姫路師範、明星商業、奈良師範が準決勝に駒を進めた。(松本泉)
【第2回日本フートボール優勝大会】
(サッカー・1月18、19、26日)
▽1回戦
神戸一中 2―0 堺中
▽2回戦
明星商業 1―0 関西学院
奈良師範(不戦勝)神戸高商
(神戸高商棄権)
御影師範 2―0 京都師範
姫路師範 3―0 岸和田中
奈良師範 0―0 神戸一中
(CK数で奈良師範の勝ち)
=2017.08.02
更新日時 2017/08/02