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編集長のズボラ料理(235) サケ豆腐のカブラ蒸し

豆腐にサンショウを加えてもよい

 カブをカブラとも言う。カブラと言ってしまうと、モッサリした感じがする。つまりダサイのである。「ダサイ」という言葉をいまだに使う方がダサイかもしれないが。
 カブラはダサイが、カブラ蒸しとなると上品に聞こえる。京都の料亭を思い浮かばせる。行ったこともないのに、そう思わせる。テレビで京料理が紹介されると、冬のなれば必ず出てくるからだ。
 京都の冬は、カブラと九条ネギしかないのか。それは料亭に縁のない僕のひがみである。しかし、カブラ蒸しを見て、「うまそうだなあ」とつぶやいてしまうのが悔しい。しかも、そんな下品の言い方ではなく、「おいしそうだな」と。
 カブラが田舎のにおいなら、カブラ蒸しは都の香りとなる。でも、よく考えれば、「京都」にごまかされているか、呪縛(じゅばく)にかかっているためにすぎない。
 ともかく地名の「都」がついている。「東京都」のように、都道府県の1つとしての「都」ではない。その分類なら京都は「府」となる。
 橋下徹さんが考えた「大阪都」のように、「府」を「都」に変えるような姑息(こそく)な手段を講じなくても、京都はもともと「都」を持っていて、ついでに「府」もつけているのだから、格が違う。
 京都ではしばしば「京」だけですませてしまう。これはほかの場所と、格の違いを見せつけるための策謀ではないか。なにせ、「先の大戦」と言えば応仁の乱を指す土地柄だから、丁寧に「京都」などを言わない。
 「京ことば」もそうである。そのうえ、大阪弁のように「弁」ではなから、大阪大好き人間の僕などは、「なんやねん」と思う。では、京都人に面と向かって「なんやねん」と言うのかと聞かれれば、決して言わない。勤め先が大阪なだけで、住んでいるのは京都府最南端の木津川市であるので、「僕も京都人ですねん」と柔らかく話して、大阪向けとは姑息に使い分ける。
 京野菜とも言う。これに対して滋賀県人は「京野菜のかなりの部分は滋賀県産」と、コソッと教えてくれる。ここもやはり京都に負けている。
 カブラ蒸しは添え物に使うことが多く、グジのカブラ蒸しがまた京料理らしい。グジはアマダイのことで、僕などは大阪人と「京都人はグジグジ言うからなあ」と言って、うなずき合う。京都人には言わない。グジグジしているように思われたくないからだ。
 グジの代わりに、庶民的なサケのフレークを使う。カブは皮をむいてすりおろし、卵の白身を加えてよくかき混ぜる。水切りした豆腐、サケのフレーク、刻みネギ、細かく切った大葉、残った卵の黄身、カタクリ粉少々をかき混ぜ、小口のハンバーグ状にして、器に盛る。その上にカブ・白身をかけて、蒸す。
 京料理では、琥珀餡(こはくあん)でもかけるかもしれないが、面倒くさいのでポン酢をかけて食べる。アマダイにすればよかったかなあ、つグジグジ言いながら食べる、(梶川伸)2016.12.30

更新日時 2016/12/30


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